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2008年3月23日 (日)

レモン

 
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3月24日が「檸檬忌」と呼ばれる日であることをご存知ですか?

たぶん知らない方の方が多いでしょうね。

「檸檬忌」は昭和初期に活躍した作家梶井基次郎が、昭和7年3月24日に亡くなった日で、梶井の代表作「檸檬」にちなみその命日を「檸檬忌」と呼んでいます。
梶井基次郎は31歳の若さで亡くなり、作品もそんなに多くはありませんが、その鋭敏な感受性による、やや特異な短編は彼の没後、評価が高くなった作家です。

私は学生の頃、やはり梶井の「檸檬」を読み、その魅力に心酔し他の作品もあれこれ読んでみました。
梶井の代表作である「檸檬」はこんなふうに始まります。


「えたいの知れない不吉な魂が私の心を始終圧へつけていた。焦燥と云おう か――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相當した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した 肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な魂だ。以前私を喜ばせたどんな美し い音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。」


そして、ある朝「私」は京都の街から街へ歩き回り、「私」の好きな果物屋にたどり着きます。
そこで、檸檬を買うことになります。


「その日私は何時になくその店で買物をした。というのはその店には珍しい 檸檬が出ていたのだ。檸檬などありふれている。が其の店というのもみすぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見 かけたことはなかった。一體私はあの檸檬が好きだ。レモンイエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった 紡膵形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。」


それから「私」は買った檸檬を握り締め、また歩き続け、最後に丸善にたどり着きます。
その丸善で画集を一冊づつ抜き出してみるうちに、一冊一冊の本をまるで色鮮やかな城のように積み上げます。
そして、とんでもないことを思いつきます。
色鮮やかに積み上げた本の城の頂上に果物屋で買った檸檬を置くことです。
そのシーンはこんなふうに描かれます。


「やっとそれは出来上がった。そして軽く跳ねあがる心を制しながら、その城壁の頂に恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。」


さらに「私」は奇妙な企みを思いつきます。

つまり、その画集の頂に檸檬をおいたまま外へ出て行くという企みです。
そして私は、すたすたと出て行きます。
冒頭の「えたいの知れない」不吉なかたまりは、この時吹っ飛んでしまうのです。
その時の気持ちはこんなふうに描かれています。


「変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。」


どうですか?
何とも奇異で、それでいて青年期の言いようのない憂鬱感をみごとに表現した短編だと思いませんか?
ただ、今読み返してみると、ちょっと気分が滅入るような作品のように感じました。
それでも、私が学生だった頃には、その特異な世界にどっぷりとつかってしまっていたのです。



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さて、「檸檬忌」を過ぎると桜前線もどんどん北上し、全国で日本人が大好きな桜開花のニュースが流れることでしょうね。
梶井基次郎の作品で「檸檬」と同じくらい好きな作品に「桜の樹の下には」があります。
梶井は桜をこんなふうに描きました。


「桜の樹の下には屍體が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍體が埋まっている。これは信じていいことだ。」


これがその冒頭の部分ですが、桜の大好きな人にとってはその発想に「ええっ!」と、その気味悪さを受けつけない人もいるかもしれませんね。
しかし、読み続けていくと嫌悪感を抱きそうな表現が、実は桜の花のみごとさを解き明かしてくれているような鋭い感性の文章だと思えてきます。


「お前、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍體が埋まっていると想像して見るがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがお前には納得が行くだろう。
馬 のような屍體、犬猫のような屍體、そして人間のような屍體、屍體はみな腐爛して蛆が湧き、堪えられなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらし ている。桜の根は貪欲な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食絲のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り何があんな蕋を作っているのか、俺は毛根の吸い上げる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。」


私はこの「桜の樹の下には」の短編を読んだ時、透き通るような液が桜の内部を伝っていく美しい情景を思い描いて、鳥肌が立つような感動を覚えたのを思い出します。

3月24日は「檸檬忌」

爆弾のように置かれた檸檬
死体から出る水晶のような液を吸って咲く桜
ちょっと想像力を働かせて、梶井基次郎の世界に浸ってみませんか?


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