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2008年5月20日 (火)

見えない配達夫

Noharaok


私は小さい頃から花が好きでした
というより、小さい頃を思い出すと、思い出の中にいつも花々があったような気がしています
それぐらい草花が身近にあったということでしょうか・・・
今は、れんげ畑や菜の花畑を見るのにも、わざわざ出かけなければ見られなくなってしまいました
大人になってからはガーデニングに凝ってみたりもしました
四季の色とりどりの花々で庭をいっぱいにするのはとても楽しみなことです(最近はちょっと手抜きになってしまいましたが・・・笑)

近年あちらこちらに出かけて寺社や史跡を見てまわることが多くなりました
カメラでそんな風景を写していくうちに、野山の草花や木々に強く惹かれるようになりました
野山の草花や木々は、四季の移ろいに応じてさまざまな顔を見せてくれます
ところが、あまりに種類が多すぎて「この花の名前はなんだろう?」「この木は何だろう?」と名前のわからない草花や木々がたくさんあります
そこで、植物図鑑や花の歳時記などの本を開く機会が増えました
そして、専門的な図鑑より小中学生向けの図鑑の方がずっとわかりやすく楽しく読めることにも気がつきました

そんな本の中で、福音館書店の『植物記』は私のお気に入りの本です
著者は、埴沙萠(はに しゃぼう)さんという人です
この『植物記』は名のごとく、植物図鑑と違って植物の生態にテーマを設けて編集されています

たとえば「重量あげ」というテーマで、芽生えた草花が石をも押し上げて伸びる写真を集めていたり、「夏の夜の宝石」というテーマで、朝、葉先に光る水玉ばかりを集めた写真を載せていたりと、本当に物語を読むような楽しさで野山の花々に触れることができます

この本のはじめに書かれた、埴沙萠さんの「あすにむかって生きる植物」という文章も、とてもしゃれています


《4月のおわりころ、大分地方に、おそ霜がおりたことがある。大分としては、記録的な大霜で、農作物に大きな被害がでた。
野山でも、のびはじめたばかりの木の芽が枯れた。山フジは、色づきはじめたつぼみまで枯れてしまった。フジは、みないっせいに芽をふいて、つぼみをだすので、ひとばんの霜にみなやられてしまった。今年はフジの花が咲かないと思った。
ところが、3週間おくれて、花を咲かせる「のろま」なフジが、ひと株だけあった。そのフジだけが、「のろまな、はみだしもの」であったために、霜に枯れないで、花を咲かせることができた。「自然」は、こんなときのために、「はみだし」を用意してあるんだなあと、感動したものだった。
そういった「自然」、そして、生命への想いが、植物にカメラをむけさせている》


この埴沙萠さんの、はじめの文章を読んでいるうちに、茨木のり子さんの「見えない配達夫」という詩を思い出しました


三月 桃の花はひらき
五月 藤の花々はいっせいに乱れ
九月 葡萄の棚に葡萄は重く
十一月 青い蜜柑は熟れはじめる

地の下には少しまぬけな配達夫がいて
帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう
かれらは伝える 根から根へ
逝きやすい季節のこころを

世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に
すべての植物たちのもとへ
どっさりの手紙 どっさりの指令
かれらもまごつく とりわけ春と秋には

えんどうの花の咲くときや
どんぐりの実の落ちるときが
北と南で少しづつずれたりするのも
きっとそのせいにちがいない

秋のしだいに深まってゆく朝
いちぢくをもいでいると
古参の配達夫に叱られている
へまなアルバイト達の気配があった


植物学者であり写真家でもある埴沙萠さんの見た自然のすばらしさと、詩人、茨木のり子さんが描き出した自然の面白さがこんなにみごとに一致しました・・・

埴沙萠さんは、はじめのことばを、こう結んでいます


《いっぽんの草が、ささやかに生きることのために、どれほど大きな英知と愛とが、「自然」からそそがれていることか。
そのことを伝えたいという思いもあって、この「植物記」をつくる決心をした。
あなたがたは、きっと、庭のすみの小さな草にも、したしみをもってくれるだろう。愛の目をむけてくれるだろうと思う。》


これから、私も親しみを持って草花や木々、そんな自然の営みに目を向けていこうと思います

Nohara9

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ちょっと思ったこと」カテゴリの記事

コメント

これからの季節 野山や湿原は山野草の魅力にとりつかれた人々で溢れます 小さな一輪の花に感動したり うつ伏せになって写真を撮ったり バニラさんも自然界の迷宮に足を踏み入れそうですね^^

投稿: セザンヌ | 2008年5月20日 (火) 23時15分

のろまな「フジ」の話、素敵ですね
思えば桜が列島を連鎖しながら咲くことや、三葉が四葉になったり五葉になったりするのも、自然の叡智なのでしょう
世の中の人達も、草木を愛でるように個性を見る余裕が出来るといいのにと思います
たぶん日本列島最後の桜が、今日の嵐で散りましたよ

投稿: tetuya | 2008年5月20日 (火) 23時43分

いやーこれはもう、私のために書かれた文章ですね。いや、勝手なことを言って、ごめんなさい。
のろまそのものの私も、もしかしたらお役に立つ部分もあるので生かされていると思うと、救われた気分です。20年も前の夢の中で、「お前は一番後から来る者である。」のようなことを言われたこともあったなあ。

家の近くの銀杏並木を見ても色づきはじめる時季が、すぐそばなのに一月程も違うものもあります。

○へまのろま自然の知恵の危機管理

投稿: joy | 2008年5月21日 (水) 02時10分

> 「自然」は、こんなときのために、「はみだし」を用意してあるんだな

目に留めることもない小さな生態も、自然に立ち向かう術があるんですね。 自然の流れに沿って、小さな世界は弄られても抵抗する事も出来ないのに、一所懸命に規則正しく、大きく見せようと胸を張っているようですね。

> 「重量あげ」芽生えた草花が石をも押し上げて伸びる写真を集めて

面白いですね。
すぐに麦踏みを思い出してしまいました。
まさに・・・重量挙げのように

埴沙萠さんの「はじめに」茨木のり子さんの「見えない配達夫」
まさに、同じ感性ですね。
小さなものに愛情を注いでいる目線を感じます。
バニラさんも、同じ感性のようです。

投稿: 月の砂漠 | 2008年5月21日 (水) 13時58分

セザンヌさん

>うつ伏せになって写真を撮ったり
これは、もうすでにしております(笑
自然界の迷宮に足を踏み入れたいですよ!
道端に咲く花を撮ろうとする時、ベタってうつ伏せになりたいなと
思っても行き交う人を意識してできない私です(修業がたりません~(≧∇≦*)o"ェィ

投稿: vanilla | 2008年5月21日 (水) 15時19分

tetuyaさん

>思えば桜が列島を連鎖しながら咲くことや・・・・・
同じ日本に住んでいながら、北と南でこんなにも違うなんて、
思えば、不思議ですね 
四葉のクローバーに希望を託せるのも自然のいたずら?のせいですね(笑

日本列島最後の桜はもう散りましたか?
沖縄では、もうそろそろ梅雨入りだそうですよ(T▽T)オドロキ!

投稿: vanilla | 2008年5月21日 (水) 15時26分

joyさん

>のろまそのものの私も、もしかしたらお役に立つ部分もあるので生かされていると思うと、救われた気分です。
joyさんそんな嘘を書かれても誰も信じませんから!
20年も前の夢の中の言葉、「お前は一番後から来る者である。」はどんな意味があったのでしょう・・・
「真打登場!!」という意味だったのではないかしら?

joyさんの近くの銀杏並木にも、賢いのろまさんがいるのですね^^

>○へまのろま自然の知恵の危機管理
うまい!!さすがです~☆^▽^☆

投稿: vanilla | 2008年5月21日 (水) 15時31分

月の砂漠さん

埴沙萠さんの『植物記』は面白いですよ!
「重量あげ」には「芽の力」という副題がついていて、
土を押し上げ、石を押し上げて伸びる芽たちの写真が集められています
1本でダメならと、みんなで力を合わせて押し上げていますよ^^
書かれてる解説もですが、写真が本当にどれもステキなのです!
私もいつかこんなふうに撮れたらって憧れてしまいます*^-^*

>バニラさんも、同じ感性のようです。
キャハ^^
お世辞でなくそう言われるようになれたら・・・(笑

投稿: vanilla | 2008年5月21日 (水) 15時36分

「真打登場!!」またー、のせかたがうまいですね。これで又、のりのりの一日になって、娘たちの顰蹙を買いそうです。

「いっぽんの草が、ささやかに生きることのために、どれほど大きな英知と愛とが、「自然」からそそがれていることか。」この深い思いは素晴らしいですね。月の砂漠さんもおっしゃるように、vanilaさんの思いが、埴さん、茨木さんの思いと、見事に、スパークして、私たちにも届いている。うれしいですね。

投稿: joy | 2008年5月21日 (水) 17時26分

> どれほど大きな英知と愛とが、「自然」からそそがれていることか。

雑草とは人間が勝手につけた名称で、一本一本に命があり、存在する意味があると云うことですね。
刈り取る時も、除草剤など撒かずに、手で丁寧に抜いて欲しいですね
それとは逆に、山に入り山菜・キノコを手当たり次第に採ってしまう。ポリバケツか何かに入れてしまうと、もうそこで命が途絶えますね。せめて・・・籠に入れて命の菌が帰るようにお願いしたいですね。

投稿: 月の砂漠 | 2008年5月21日 (水) 20時32分

月の砂漠さんがおっしゃるとおり山菜のタラの芽などは 都会の素人が間違った採り方をするので あたり一面全滅してしまうことがあり残念です
キノコに関しては素人はには難しく もっぱら玄人の独壇場ですので 採りつくすことは まずしません 籠に入れて菌を落としながら歩くなど書物などには書いてありますが 実際にはどうなんでしょうか

投稿: セザンヌ | 2008年5月21日 (水) 21時49分

こんばんは♪
私も、野の花好きです♪
草取りをする時、花が咲いていると、「ごめんなさい」と心の中でつぶやいてます。小さな小さな花を咲かせているハコベ。よく観ると、とっても奇麗なのに、雑草だからと採りますが・・・

投稿: siro | 2008年5月21日 (水) 23時49分

こんにちは!
Daysに比べとっても写真がきれい!
なかなか野草をゆっくりみれません!
悟りの境地?

投稿: カバディーtakennaka | 2008年5月22日 (木) 12時48分

joyさん

>これで又、のりのりの一日になって、
思ったことそのまま書いただけですよ~^^

埴さんは、今人類は、生物として横暴であったことに気がついて、自然保護とか、地球に優しくという運動をはじめているが、それが人類の利益をまもるためでなく、「自然」への尊敬、そして、生きているものへの愛であってほしいとも書かれています
本当にそう思いますね^^

投稿: vanilla | 2008年5月22日 (木) 15時51分

月の砂漠さん

>雑草とは人間が勝手につけた名称で、
そうですね!ひとつひとつにちゃんと名前がありますね
名前のない草花ってないですよね(発見されてない植物は別として^^

>せめて・・・籠に入れて命の菌が帰るようにお願いしたいですね。
籠の網目から菌が落ちて土に戻るということですね
なるほど、そんなこと気がつきませんでした
キノコを採りに行くことがあったら籠を持って行きましょう~

投稿: vanilla | 2008年5月22日 (木) 16時00分

セザンヌさん

やはりタラの芽の採り方にも決まりごとがあるのですね
私もわからないから、ただただ新芽を摘んできそうです

キノコ採りは確かに自分では、食べられるキノコか、そうでないかを見分ける自信がありません
前にTVで観たのですが案外食べられるキノコって多いのですね
見分けられる人には楽しみな行事なのでしょうね
採れたてをバター炒めにしたら美味しいでしょうね^^

籠に入れて菌を落としながら歩くというのはキノコ採りの基本ですかぁ~?
勉強になりました^^

投稿: vanilla | 2008年5月22日 (木) 16時05分

siroさん

コメントありがとうございます^^
最近花の写真を撮るようになって、小さな花にも目がいくようになりました
先日は草原に咲いている小さな花ばかりを撮って歩いたのですが、よく見ると小さくても綺麗な花がたくさんありました

今度そんな花を集めてアップしてみたいと思っていますo(*^▽^*)o

投稿: vanilla | 2008年5月22日 (木) 16時12分

カバディーさん

コメントありがとうございます
>なかなか野草をゆっくりみれません!
カバディーさんはお仕事が忙しいですものね・・・それに興味がないとなかなかそんな気になりませんよね^^

>悟りの境地?
はい!やっと悟りの境地に達しました(爆)・・・な わけない!(≧▽≦)

また遊びに来てくださいね♪

投稿: vanilla | 2008年5月22日 (木) 16時19分

セザンヌさんの・・・
> 書物などには書いてありますが 実際にはどうなんでしょうか

今は山菜・キノコの採れる山の殆どは入山禁止の立て札が
立っているようですね。
マナーが悪く、根こそぎ持っていくからですね
基本は網目の大きな籠に新聞紙を敷いて欲張らずに
採ることが大事のようです。

投稿: 月の砂漠 | 2008年5月22日 (木) 20時20分

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