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2008年6月

2008年6月26日 (木)

微笑みの木喰仏に会いに・・・

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「木喰」(もくじき)のことを知ったのは、最近のことです
私の女友達で、古美術を商ってる人がいます
その彼女から「先日、木喰展を見に行って来たよ 帰り道には、顔が思わずにニコニコしてしまったわ」という話を聞きました
それが木喰という名を耳にした最初でした

それから、木喰について少し調べてみました
木喰作の「微笑仏」が広く世に知られ、高い評価を受けるようになったのは、それほど古いことではありません その美を発見したのは、柳宗悦で、大正12年山梨で偶然に出会った木喰仏について次のように記しています

「私は即座に心を奪はれました。その口許に漂ふ微笑は私を限りなく惹きつけました。尋常な作者ではない。異教な宗教的体験がなくば、かかるものは刻み得ない。」

 
そんなことを調べるうちに、ますます木喰の創った微笑仏に興味が湧いてきました
そして、豊橋市美術博物館で6月22日まで木喰展が開催されていることを知りました
豊橋市美術博物館のパンフレットに、木喰作の微笑仏の写真が何点か載っていました
何とも魅力的な笑いを浮かべた仏様の写真でした
「わ 木喰展がもうすぐ終わってしまう」といそいそと出かけることにしました
梅雨空のもと、東名高速を豊橋へと走りました

 

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高速を下りてしばらく走ると、りっぱな豊橋市役所が見えてきました
豊橋市美術博物館はその隣の公園内にありました
公園には吉田城跡もあり大きな木立の多い落ち着いた雰囲気の公園でした

美術博物館も市の施設としてはとても立派で、いろいろな催しも開催されているようでした 市がこんなふうに文化的な活動に力を入れているのはとても羨ましく思いました
2階の受付で、入場料800円を払って、さていよいよ木喰の微笑仏との対面です

木喰は3回程その名を変えていたそうです 最後には「木喰明満仙人」と名乗りました
特に大きな仏像はなかったのですが、ちょっと荒削りにも見える、そして何とも個性的な顔や姿は期待通りのものでした

にっこり笑って子供を抱いている「子安観音像」は木喰が好んで彫ったようで、とても魅力的でしたが、十二神将の像は私が今まで見てきた神将像とは全く違う顔姿で、改めて木喰の独創性を感じました
私が今まで見てきた有名な仏像たちも歴史の重みを感じさせてくれたり、その慈愛あふれるお顔、お姿に深い感動を覚えてきました
それと比べると、木喰の創る像たちは、歴史の重みというより、むしろ斬新ささえあり、まるで現代の彫刻芸術と言ってもいいような目新しさを感じました

また、仏像だけでなく、歌集や書画が展示されていました
これらは、少し荒削りな仏像とは違い達筆で書かれていたり、中には精緻なデザイン文字を思わせるような書画もありました

木喰は仏像を彫る仏師が職業ではありません
特定の寺院や宗派に属さず全国を巡り歩いた遊行僧です
木喰という名が示す通り穀物を口にせず、山菜や生の木の実だけを食べるということを自分の戒として、修行する僧でした
木喰がその戒めを自分に課したのは45歳になってからです
全国を巡って修行を始めるのは56歳の時です さらに、仏像を彫り始めたのは61歳という年齢に達していました

木喰の自身の像も3点ほど置かれていましたが、長い顎鬚をたくわえ、心から笑っているような像に生身の木喰も本当にこんなふうに柔和な人だったのだろうと思いました
自身像のひとつは、その背面をくりぬき、子供たちがその中に幼子を入れて雪滑りを楽しんだという像もあり、木喰の人柄がしのばれる一作でした
木喰は粗末な食事を取っていたにもかかわらず、93歳まで長く生きた人で、さらに驚いたことに、その創作意欲は80代で1000体の像、そして90代では2000体の像を彫ろうと意欲を燃やしていたことです

 

友人の話の通りでした

木喰展を見た帰り道には、心も顔もニコニコになっていました


Yakushi

(パンフレット より)

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2008年6月22日 (日)

比叡山延暦寺

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先日、梅雨の合間をぬって、比叡山延暦寺を訪ねてきました

延暦寺は数あるお寺の中でも、私の好きなお寺のひとつです

延暦寺は、京都の有名なお寺とはまた違った雰囲気を漂わせているお寺です

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延暦寺との出会いはもう10年程前に遡ります

まだ私が、寺社や仏像にほとんど興味を持っていなかった頃です 京都に一泊し、翌日帰り道に大原の方から滋賀県へぬけようとしていました

道中「奥比叡ドライブウェイ」という看板が目に入って、ここを通っていこうということになりました

ドライブウェイを走る途中で延暦寺を見つけたのです

恥ずかしい話ですが、全くの偶然でした

比叡山延暦寺はもちろん名前は知っていましたが、奥比叡ドライブウェイの途中にあるとは知りませんでした

延暦寺に入って行くと、本当に山中の寺という感じでした

その延暦寺の総本堂でもある、根本中堂を拝観し終わって外に出ようとした時、突然の夕立に襲われました

あまりの雨脚に根本中堂の入口のあたりで雨宿りをしていました

まさに驟雨で、一時激しく降ったもののさっと降り止みました

そして、雲の切れ間から日の光が差し込んできました

その光がとても美しくて、その時隣にいた息子と思わず顔を見合わせました

雨に洗われた青葉がキラキラ光り、ちょっと感動すら覚えました

その時にふと浮かんできたのが「あらたふと青葉若葉の日の光」 有名な芭蕉の「奥の細道 日光」で詠まれた句です

芭蕉が日光で見た光景も、こんな様子ではなかったのかしらと思ってしまいました

その夕立がなかったとしても延暦寺は心に残る寺になっていたかもしれませんが、夕立後の差し込んだ日の光は、私に特別に印象深さを与えてくれました

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延暦寺を訪れるのはそれ以後4回目になります

今回ははじめて国宝殿にも入り、重要文化財級の仏像や仏画も見学してきました

でも、やはり延暦寺の魅力は「根本中堂」にあります 現在の根本中堂は1642年に復興されたものですが、創建にまで遡れば開祖である伝教大師、最澄が自ら刻んだ薬師如来仏を安置して比叡山寺としたのは788年のことです

根本中堂は、入母屋造りの建築で中堂の前庭を回廊がコの字形に取り囲んでいます

そして、中堂の中に須弥壇である内陣と参拝者が拝む外陣をあわせ持っているのが大きな特徴です

私たち参拝者は外陣より内陣を拝観するのですが、内陣は下が石畳で、拝観する外陣よりも3m程も低くなっています

内陣全体は薄暗くなっており、それがより厳かさを増しています

中央の大厨子には秘仏の薬師如来がまつられており、その前には開祖以来の「不滅の法灯」が1200年の時を注がれ注がれて輝いています

その内陣に神秘的な厳かさを感じるのです

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はじめに、京都の有名なお寺と違った雰囲気を持っていると書きましたが、それは根本中堂の荘厳さと関係しているように思います

確かに京都のお寺は庭や建物が美しかったり、その静けさに魅力があるのですが、荘厳さという点においては格段の違いがあるように感じるのです

延暦寺というより、比叡山全体に修行を重ねる宗教の原点があるような気がします

たくさんの名僧がこの山で修行を積み、各宗派の開祖となったのも頷ける気がします

私自身はどちらかと言えば無宗教ですが、延暦寺の持つ厳かさに触れて、ちょっと清浄な気分になることのできた、延暦寺の旅でした


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雨に霞んで見える琵琶湖です・・・




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2008年6月17日 (火)

夕方の三十分

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6月15日は父の日でしたね

最近は父の日も、ギフト商戦で結構にぎやかになりました

昔は、母の日と比べるとそんなに目立たない日でした

私も、母の日は小さい頃から楽しみにしていて、小さいながらも何をプレゼントしようかな?喜んでくれるかしら?とワクワクしたものです

先月の母の日にも、実母にも義母にも花を贈りました

 

私が父の日にプレゼントを贈ることが習慣になったのは、結婚して、もう一人の父ができてからです

プレゼントを何にするか考えるのはいつも私の役割です

一昨年はパジャマを贈りました

毎年何を贈るか考えて、二人の父に私が気に入った同じものを贈っていました

だから、二人の父はおそろいの品をいくつか持っていたことになります

お揃いのパジャマを着て眠っているんだと想像するとちょっと可笑しくなります

それは、誰も知らない私だけの楽しみでした

 

でも、もう昨年からお揃いの品を買うことはなくなりました

私の父は昨年の1月に亡くなったからです

父の日の私の楽しみも半減しました

でも、命日とは違った意味で、父の日は私が父を思い出す日となりました

 

父の晩年の趣味は木彫りをすることでした

花や風景を彫るのが好きでした

そんな父が、彫刻刀で彫り進めながら未完成になったのは、「菩薩」さまの顔の木彫りでした

時々、父の使っていた彫刻刀を手にとっては「菩薩」さまの顔を彫り進めようと思うのですが、どうしても一刀を入れることができないままです

いつかは、父のその忘れ物を完成させようと決心していますが、彫刻刀を入れるのはもうしばらく時間がかかりそうです

 

今年もプレゼントは一人分でした

もう一つの贈り物は、父と幼い頃の私の思い出に浸ることでした

 

そんな時に、こんな、父と娘を描いた、ユーモラスでほほえましい詩を見つけました

 

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夕方の三十分      黒田三郎

 

 

コンロから御飯をおろす

卵を割ってかきまぜる

合間にウィスキーをひと口飲む

折紙で赤い鶴を折る

ネギを切る

一畳に足りない台所につっ立ったままで

夕方の三十分

 

僕は腕のいいコックで

酒飲みで

オトーチャマ

小さなユリの御機嫌とりまで

いっぺんにやらなきゃならん

半日他人の家で暮らしたので

小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

 

「ホンヨンデェ オトーチャマ」

「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」

「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」

卵焼きをかえそうと

一心不乱のところに

あわててユリが駆けこんでくる

「オシッコデルノー オトーチャマ」

だんだん僕は不機嫌になってくる

 

化学調味料をひとさじ

フライパンをひとゆすり

ウィスキィーをがぶりとひと口

だんだん小さなユリも不機嫌になってくる

「ハヤクココキッテヨォ  オトー」

「ハヤクー」

 

かんしゃくもちのおやじが怒鳴る

「自分でしなさい 自分でぇ」

かんしゃくもちの娘がやりかえす

「ヨッパライ グズ ジジイ」

おやじが怒なって娘のお尻をたたく

小さなユリが泣く

大きな大きな声で泣く

 

それから

やがて

しずかで美しい時間が

やってくる

おやじは素直にやさしくなる

小さなユリも素直にやさしくなる

食卓に向かい合ってふたり坐る

 

今の私には、甘えたりケンカをしたり、そして、しずかで美しい時間を過ごそうにも、その父はもういません

これからは、父の日のせめて夕方の三十分、亡き父を思い出して一人で静かな時間を過ごそうと思っています

そして、いつの日か、彫刻刀を握って、父の形見を完成させたいと願っています


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2008年6月13日 (金)

紫陽花

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梅雨入りして、10日程経ちましたが、今年は梅雨らしく雨の日が続きました

梅雨入りした頃は、まだ咲きはじめだったアジサイも、今では咲きこぼれんばかりに花をつけています

それにしても、梅雨空の下、アジサイはなんとこの季節によく似合っている花でしょうか

アジサイの葉にカタツムリでもいれば、これは今の季節の風物詩にあまりにもはまり過ぎた光景ですね

そんなことを思いながら、この前紹介した、埴沙萠(はに しゃぼう)さんの『植物記』をめくっていたら、6月のページにアジサイの葉にカタツムリがいて、さらにその目の前にカエルがいる写真が載っていました

その配置があまりにも今の季節にぴったりで、感心するというより、思わず笑えてきました

その写真に寄せられた文章はこんなのでした

 

「バラの花の、まるく光る雨は、バラ色。 アジサイの、花にやどる雨は、アジサイ色。

カタツムリの子が、花びらの、まるい雨をなめにやってくる。カエルの子が、ぴょんとはねる。 水玉がゆれる。・・・・・」


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アジサイは「紫陽花」と書きますが、これは遠い昔に書かれた、中国の詩に由来するそうです

また、咲きはじめからどんどん色を変えるので「七変化」とも呼ばれています

アジサイは、原産が日本だそうです

梅雨を飾る七変化のアジサイの原産国が日本というのは、何かちょっと嬉しい気がします

もともとは、周りだけが大きな花のようなガクで、真ん中に小さな花をつけたガクアジサイが原生種です

今、私たちがよく見かける、全体が手まりのようになっているアジサイは、日本からヨーロッパに渡り品種改良されたものです

本来の日本のアジサイは、青色だったそうですが、ヨーロッパの品種改良で、白、ピンク、紫、赤、中には緑色のものさえ見られるようになりました


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さて、アジサイの名脇役、カタツムリはというと、貝の仲間です

ただ、海の貝はエラで呼吸をしますが、陸のカタツムリは肺で呼吸をします

カタツムリは雌雄同体で、何と頭部の近くにある生殖孔で交尾をし、お互いに産卵します

交尾の仕方も変わっていますが、その頭部の横から産卵をするというのも、少しびっくりしました

ユーモラスなのは、その形だけではなかったのですね

 

主人公のアジサイは何故か詩の題材としてあまり見かけませんが(私が知らないだけかもしれませんが)名脇役のカタツムリの方は結構たくさんの詩人たちが取り上げています

そんな中で、私の一番好きなカタツムリの詩を紹介します

 

 

ぽけぽけ (かたつむりでんせつ)  工藤直子 

 

むくちにみえるが かたつむりはおしゃべりだ

はじまりもおわりもなく はなしていたい

しかし「あーのーねー」と のんびりなので

いそがしいみんなは あいてにしてくれない

そこでついに かたつむりは からにもぐって

しゃべるようになった

「みーずーたーまーひーかーるーよ」

「あーらーきーれーいーね」

じつは かたつむりのからのなかにはふたりいる

そして しゃべりっこしてるのだ・・・これ「ひみつ」のはなしだけどさ

 

 

 

雨が続くと、じめじめしてうっとうしいと思う時もありますが

アジサイやカタツムリ、そしてカエルなどが、この梅雨だからこその楽しみを与えてくれます


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2008年6月 8日 (日)

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今年は梅雨入りが早く、6月の声を聞いたらすぐに梅雨入り宣言が私の地方にも出されました
梅雨には紫陽花がよく似合いますが、まだその紫陽花も咲き始めといったところです

そろそろ蛍の便りも聞かれそうですね
私の子供の頃には、蛍は身近な生き物でした
私の実家の横に川が流れていますが、この時期になると、川のほとりに蛍の飛び交う姿が見られたものです
中には気まぐれな蛍が家の方に飛んできて、壁にとまって光を点滅させたり、低いところを飛んでいる蛍を捕まえては手のひらで優しくカゴを作り、蛍の青白い光を眺めていたものです
そんな蛍も本当に見かけなくなりました
水の綺麗なところで、蛍が見られるところは、今や観光の名所とさえなっています

蛍といえば、『北の国から』のファンである私にとって、懐かしい黒板一家の妹の名前でもあります
そういえば、父親の五郎が娘に蛍と名づけた由来を語るシーンがあったなぁ と思い出しました
私の中では、大人になった蛍に父親五郎が語って聞かせたように思っていたのですが、調べてみたら、何と第2話ですでにそのシーンがありました

蛍「父さん」
五郎「ん?」
蛍「学校で今日、男の子にきかれた」
五郎「―――何て」
蛍「お前の名前、どうして蛍っていうンだって」
五郎「―――(ぬい物をつづけている)」
蛍「どうして?」
五郎「――――」

五郎「むかし――父さんがこの村を出たときな」
蛍「うン」
五郎「父さん、家中のだれにもいわずに、こっそり夜中に一人で抜け出して――真っ暗ン中を富良野まで歩いたンだ」
蛍「――――うン」
五郎「そのころ――ここらはホタルがいっぱいいて――それがとうさんにまとわりついてな」
蛍「蛍、ホタルってまだ見たことない」

五郎「ホタルの光ってのは――チロチロ飛んでな。それが――父さんの、前や後ろや――まるで――行くなっていってるみたいで」
蛍「――」

蛍「だから私に蛍ってつけたの?」
五郎「ああ」
蛍「じゃあお兄ちゃんは?純って名前は?」
五郎「――」

五郎「あれはお父さんじゃない。――母さんがつけたンだ」

 
五郎の「そのころ――ここらはホタルがいっぱいいて――それがとうさんにまとわりついてな」という台詞を読み直して、私が一度体験した、幻想的な風景が思い浮かんできました
それは、学生の頃、山梨県にある友人の実家に遊びに行った時のことです
初夏でした 友人が「この辺りは水がきれいだから、蛍がよく見られるよ 今夜見に行こうか」という話になり、その夜、トウモロコシ畑を横切り、ワサビ畑があるほど綺麗な川のほとりに出かけました

そして、そこで見たのは、まさに蛍の乱舞でした
何百匹、いや何千匹といたのだと思います
不思議なもので、蛍の光の点滅のリズムが一致して、いっせいに光ると川の形が浮かび上がり、蛍の光の川でした そして、いっせいに光が消えると闇に閉ざされるのです
友人もこれほどの蛍を見たのは初めてというように、二人は声も出さずにただじっとその光の川を眺めていました 
今思い出しても夢のようなできごとでした
もう二度と見ることができない幻想的な光景だったのかもしれません


そうそう蛍といえば、もうひとつどうしても書いておきたいことがあります
あの「ぞうさん」で有名な詩人、まど・みちおさんの言葉です

「それから、私がよく覚えているのはホタルの匂いです。とてもいい匂いで、手にそっとつまんで嗅ぐと、まさに生き物という感じの匂いがする。ホタルは光もそうだけれど、あの匂いを表現することができたら、と思いますが、難しいことですね。」


「蛍の匂い」というのは、衝撃的でした
蛍といえば、あのはかない光がシンボルなのに、その光ではなく、まど・みちおさんは蛍の匂いを感じ取っているのです
私には全く思いつかなかった蛍の一面です

さて、今年はどこに蛍を見に行ってこようかな?
そして、今年は、蛍を優しく捕まえたら、そっと匂いを嗅いでみようと思っています



 

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