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2008年8月

2008年8月24日 (日)

夏のおわり

厳しい残暑も峠を越えたのでしょうか?
朝晩めっきり涼しくなりました
いよいよ、夏の終わりを感じる気配となりました
今年は北海道や東北では、涼夏だったようですが、西日本では厳しい暑さの続く夏でした
夏の暑い盛りには、このままずっと暑さが続くのではないだろうかと思ったほどです
でも、やはり季節はめぐるものですね
そういえば、あたり一面空気を震わすほど鳴いていたセミの声も、ぴたりとやみました
みなさんも夏の終わりを感じていらっしゃるでしょうか?
日が短くなって日暮れが早くなったこと、入道雲が浮かんでいた真っ青な空が、少し高くなったことなど、夏の終わりをいろんな自然の変化が知らせてくれます

さて、みなさんに一足早い「秋」をお届けしますね
何かというと、それは稲穂の実りなんです
私の住むこの地方では、夏の終わりのこの時期に稲穂が豊かに実り、黄金色の海のようになります
早いところでは、もう盆過ぎに稲刈りを始めているところもあります
この地方でこんなに稲刈りが早いのは、台風の被害を避けるためなんでしょう
かつて、伊勢湾台風で甚大な被害を受けたことが影響しているのでしょう
だから、私にとっては夏の終わりを象徴する一風景が、豊かな稲穂の波なんです

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「豊かな稲穂の実り」といえば、新川和江さんの「わたしを束ねないで」という詩が浮かんできます
その詩の中で、稲穂は束縛されることのない自由の象徴です



「わたしを束ねないで」   新川和江


わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
     
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩


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この詩を読むと何ものにも束縛されず、自由に生きたいという新川さんの強い気持ちが伝わってきます
この詩は共感するところも多いのですが、反面私にはここまで強く自由を求めることができないとため息が出てしまいます
私には、どこかで「安定」「安住」のために大人の常識に身を任せているところがあります
ところが、新川さんの求める自由は根本的な人間としての解放を望んでいるようです


さて、みなさんはどんなところに夏の終わりを感じていらっしゃいますか?

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2008年8月17日 (日)

オモローな旅

立秋も過ぎ、もう暑中見舞いではなく、残暑見舞いの季節ですが、これが残暑でしょうか?
連日の猛暑に参っています
お盆で観光地はどこもかしこも人がいっぱい、道は渋滞、ということで、家でおとなしくオリンピックのテレビ観戦をしていました
ふと、こういう時にはかえって都会の方が空いているかもと思いたち、急遽大阪に出かけることにしました

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西名阪に乗り、まずは大阪城に向かいました

大阪城の専用駐車場に車を止め、車を降りたとたん陽射しの強さにくらくらしました
日傘を持って来るのを忘れたので、車に積んであった雨傘を日傘がわりにさして歩きました

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まずは、お堀の大きさにびっくり、そして大手門をくぐりさらに桜門をくぐると、目の前の石垣の巨大さにまたまたびっくりしました 
最も大きい岩は「蛸石」と呼ばれ畳36枚分の大きさだそうです
どんどん歩いていくと、天守閣が見えてきました

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天守閣は大きく堂々としており、黄金の装飾や金の伏せ虎などが目立ちとても美しい城でした
城の中に入ると、エレベーターは大混雑、仕方なく昇り階段を使って各階の展示物を見学しながら最上階まで行きました

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最上階からは大阪の市街地が展望できました
高層ビルが建ち並び、さすが大都会でした

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(遠くに通天閣も見えています)camera

大阪城は豊臣秀吉の築城で有名ですが、実際には大阪夏の陣で落城、炎上しており、もちろん今の大阪城も昭和6年に再興されたものですが、豊臣秀吉時代の城ではなく、江戸時代の徳川家が再興し、やはり焼失したものを復元再興したものだそうです

大阪城を後にして、先にホテルでチェックインを済ませました
そして、難波まで行き難波の街を散策しました
お昼は大阪名物のたこ焼きとビール

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たこ焼きを食べながら「大阪に来たな~」と実感がわいてきました
大阪といえばお笑いの街、難波に「難波グランド花月」があり、暑さを笑い飛ばそうとチケットを買いに行くと、大盛況でもう夜の部の2階席しか残っていませんでした
せっかく大阪に来たのだから吉本を観ずに帰るのはもったいないと、夜の部のチケットを購入しました

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開演までだいぶ時間があったので、大阪ミナミの道頓堀へ行きました
お盆だから都会が空いているなんて大間違い、道頓堀も心斎橋筋も人また人、人人人でごった返していました

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それでも、道頓堀の象徴、「グリコ」の看板や「カニ道楽」の大きなカニ、「づぼらや」の大フグ提灯などが目を楽しませてくれました
でも、ニュースでも流れましたが、道頓堀の象徴の一つである、「食いだおれ」ビルは閉鎖され、あの有名な「食いだおれ人形」も姿を消していました これも時代の流れです
道頓堀から一筋裏に入ると、織田作之助の「夫婦善哉」の舞台、法善寺横丁があります
ここは、比較的空いていました

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水かけ不動に柄杓で水をかけてお参りしてきました
道頓堀でブラブラと時を過ごして、さて、グランド花月の開場の時間となりました
受付でチケットを渡し2階席へ  
やはり、チケットを取るのが遅かったので残念ながら舞台からはだいぶ離れた席でした

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そして、開演 始めは若手芸人たちの芸からでした やはり、生で見ると可笑しさもひとしおです 若手芸人の中では「海原やすよともこ」「メッセンジャー」がよく笑わせてくれました いよいよ真打ちの登場、私の大好きな芸人「オール阪神・巨人」の漫才です 絶妙なやりとり、間のとりかたに腹をかかえて笑いました お次は「桂 文珍」の落語でした 文珍の落語の話術もお見事、大笑いでした 最後は吉本新喜劇―これはもう定番のお笑いでした すっかり笑いころげて、ストレス解消の夜となりました 文句なしに笑いは何よりの健康法ですね

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次の日は、大阪の下町天王寺へ立ち寄りました
通天閣の近辺には、まさに下町といった感じで串カツ屋さんが目立ち、朝から串カツにビールのお客さんが結構いて、これはさすがに真似できませんでした

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通天閣といえばビリケンさんが有名で、あちらこちらにビリケン像がありました
ビリケンとは、明治時代アメリカの女流美術家が夢に見た神様を形にしたもので、アメリカで大流行したそうです それをちゃっかりと浪花の神様にしてしまうところが浪花の商人魂ですね

大阪では、暑さをしのいで涼を求めるというわけには行きませんでしたが、お笑いに暑さに負けない元気をもらった旅行でした

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2008年8月10日 (日)

夢のあと

前回載せた東北名産の料理の写真は、みなさんが書いてくださったようにホヤでした
そのホヤの味についてはともかく、他の美味しい食事に舌鼓を打ちながら、松島でのゆったりとした夜が過ぎていきました


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翌日、バイキングの朝食でその日の旅へのエネルギーを満タンにしました
大満足した宿を出発して、東北自動車道へと車を走らせました
大和インターチェンジで東北自動車道にのり、1時間半ほど北上し一関インターチェンジで降り、平泉を目指しました

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平泉ではまず中尊寺を訪ねました
中尊寺も一度訪れたことのあるお寺ですが、やはり記憶はあいまいになっていました
中尊寺の本堂に向かう参道は月見坂と呼ばれ、瑞巌寺と同じように両側にはりっぱな杉木立が並んでいました

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中尊寺は五大堂と同じく慈覚大師を開山とします
平泉を代表する寺となったのは奥州の豪族藤原氏の初代清衡が戦乱で亡くなった人の霊を慰め、理想郷を建設しようと多くの多宝塔や堂塔を建立したからです
坂道を登って行くと、途中に本堂がありました

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内陣では、この前私が訪れた比叡山延暦寺の「不滅の法灯」がこの本堂にも受け継がれ、その灯りをたえず照らしているそうです

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さらに登って行くと、中尊寺でもっとも有名な金色堂までやってきました
ここで、800円の拝観料を納め、今ではコンクリート造りになった新覆堂(しんおおいどう)の中に入って行きました
中に入るとガラス張りの中に、金色堂が見えてきました
記憶があいまいだった私もさすがにこの金色堂だけは以前見た時と同じ感嘆の思いが蘇ってきました
まさに金色一色、そして四方の柱には螺鈿細工に、蒔絵の粋が施されていました
息を呑んで見つめるしかありませんでした
芭蕉が詣でた時も、こんなにも光り輝いていたのでしょうか?
芭蕉は金色堂(光堂)を訪れた時のことをこんなふうに記しています

「かねて耳驚かしたる二堂開帳す 経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す 七宝散りうせて玉の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空墟の草むらとなるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぎしばらく千歳の記念(かたみ)とはなれり」


この文章から察すると、芭蕉が見た金色堂(光堂)も輝いていたのでしょうね
そして、ここで有名な句

五月雨の降り残してや光堂

を詠みました
都、京都から遠く離れた東北の地に都をも凌ぐような極楽浄土の世界を建立した藤原氏の権力の大きさが偲ばれます
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ついでにいいお土産となったのは、四代泰衡の首桶から発見されたという蓮の種子が遥かな時を超えて近年、開花させることに成功しており、その中尊寺蓮の花が見られたことでした


金色堂の別世界に感動しつつ中尊寺を後にして、もう一つの名勝、毛越寺に向かいました
毛越寺は藤原氏の二代基衡と三代秀衡にわたり、壮大な伽藍を造営しその規模はわが国無二の霊地とされたほどです

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度重なる災禍に壮大な伽藍は焼失しましたが、大泉が池を中心とする「浄土庭園」と平安時代の遺構が保存されています 大泉が池を歩きながら当時は驚くばかりの伽藍が建立されていたのだろうと思いを巡らせました

芭蕉とは行く順序が逆になりましたが、最後に義経が自害した館があったと言われる高舘に登りました
「おくの細みち」でも名文とされて教科書などにもよく載っている一節が記されたところです
「おくの細みち」にも記されているように、高舘に登ってみると北上川が悠然と流れていました
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現在の高舘には義経堂が建っており義経像がひっそりと祀られていました
ここは芭蕉が義経や忠実な部下たちの壮絶な戦いを思い、その無常に感慨し時を忘れて涙を流した場所です
その部分はこう記されています

「さても義臣すぐつて此城に籠り、功名一時の草むらとなる 国破れて山河あり、城春にして草木青みたりと、笠打ち敷きて時のうつるまでなみだをおとしはべりぬ」

そして、ここでも有名な句

夏草や兵(つはもの)どもが夢のあと

を残しました

この日はたっぷりと芭蕉の道程を味わった一日となりました
この日の宿は平泉を後にして、東北自動車道を南に戻り、宮城県の名湯、鳴子温泉に宿をとりました
少し緑がかった露天風呂、乳白色の内湯と種類の違った温泉につかり疲れを癒しました

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翌朝、この旅の最終日を迎えました
仙台市に向かい、伊達政宗公の青葉城に立ち寄り、仙台市街を見下ろしました
やはり大きな街でした

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その後、街の中心街に車を止めて繁華街を散策しました 仙台の「七夕祭り」はまだ飾りつけがされていなくて残念でしたが、JR仙台駅だけは飾りつけが始まっており、少し七夕の雰囲気を味わうことができました

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ランチはもちろん仙台名物「牛タン」をいただいてきました
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帰りの空路もやはりプロペラ機でしたが、帰りは全く揺れることもなく、安定した飛行でセントレアに着きました

芭蕉の旅と比べるとわずか3日間の旅でしたが、松島も平泉も深く印象に残る旅でした
それにしても、セントレアに着いたら、やはりこちらは暑かった!

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2008年8月 1日 (金)

松島や・・・

7月(文月)も終わりました
8月のお盆前後は旅行も混雑するだろうと思い、7月の終わりに旅行を計画しました
今回の旅行は松尾芭蕉の『おくのほそ道』ゆかりの地を訪れてみたいと決めていました
もちろん『おくのほそ道』の全旅程をたどるのは無理なので、どこかにしぼらなければなりませんでした
日光か松島・平泉かで迷いましたが、最終的には芭蕉の目的の一つであった松島を訪ね、平泉に立ち寄る2泊3日の旅に決めました


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セントレア(中部国際空港)から仙台行きの飛行機に乗ることになっていました
ところが、セントレアに着き手続きをすませ、搭乗を待っていると「仙台行きの便は悪天候のため、航路の変更の許可を待っています」とのアナウンスが入り、10分、20分、30分とだんだん出発の時刻が遅れていきました
はじめに、この便はプロペラ機だと聞いて少し不安になっていたのですが、悪天候のための出発延期で不安がますます高まりました(やはり飛行機の旅はどうも好きになれません)
そして、ようやく出発のOKが出て、バスで飛行機の近くまで行きタラップを登り出発となりました
飛行機が飛び立って直後、しばらくガタガタと機体が揺れ、心の中では「神様~仏様~・・・」状態でした
でも、しばらくすると揺れもおさまり、その後は安定した飛行で胸をなでおろしました

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仙台空港に着くと気温は26度、35度もあった三重県と比べるとさすがにひんやりと心地よい気候でした
空港を出てすぐにレンタカーを借り、一路松島へと向かいました 松島は前に一度訪れたことがあるのですが、三重の伊勢志摩によく出かける私にとっては、「日本三景」の一つにしては志摩の風景の方が綺麗じゃないのと、すぐ通り過ぎてしまった地です
その頃は芭蕉にもそんなに興味を持っていなかった頃です
芭蕉の『おくのほそ道』での松島への思い入れは強く、序段ですでに、旅の準備を整えながら「松島の月まづ心にかかりて」と記しています
松島に着いて、松島のシンボルである五大堂の近くに車を駐車しました

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五大堂は、807年に坂上田村麻呂の創建と伝えられており、のちに慈覚大師が五大明王を安置したことから五大堂と呼ばれています
五大堂に架かる「透かし橋」を渡ってまずは五大堂お参りしました

その後、飛行機が遅れたせいで、松島をめぐる遊覧船に乗るか、奥州随一の禅寺、瑞巌寺に行くか、どちらかとなりましたが、芭蕉が訪ねた瑞巌寺に行くことにしました
芭蕉は『おくのほそ道』で瑞巌寺を詣でた時のことをこんなふうに表現しています
「十一日、瑞巌寺に詣。
・    ・・・・雲居禅師の徳化に依りて、七堂甍改まりて
金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。」
瑞巌寺はお寺ですが、巨大な杉並木が道の両脇にそびえ立っており、伊勢神宮のようでした

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拝観料700円を納めて本堂に入りました
芭蕉が「金壁荘厳光を輝し」と書いたようにそれぞれの間の襖絵が豪華でみごとでした
宝物館では、「本堂障壁画」や「木造五大明王像」を見学しました
さすがに、伊達政宗公が再興しただけあって、りっぱなお寺でした

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夕方になったので、その日の宿へと向かいました
今回はちょっぴり贅沢をしていいホテルをとったので、部屋からの松島の眺めも絶景でした
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芭蕉は松島の段では感動のあまり、俳句を残していません
「松島や ああ松島や 松島や」が芭蕉の句だとする説もありますが、それは俗説です
俳句を残さなかった芭蕉は松島についてこう記述しています
「松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ず」
つまり、松島は日本一の美景であり、中国の洞庭湖、西湖に比べても劣らないとまで褒め称えています そして
「予は口をとぢて、眠らむとしていねられず」
と書いてあるように、俳句もできず眠るに眠れませんでした
『おくのほそ道』で松島では芭蕉の句ではなく同行者曽良の句が載せられています
「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」

松尾芭蕉に興味を持ったことで、松島の印象がずいぶん変わりました
それにしても、芭蕉はこんなりっぱな宿でこんなに美味しいご馳走を口にしなかったでしょうね 
「芭蕉さん ごめんなさい!」と心に思いながら、美味しい料理に箸を運び、冷たい生ビールで喉をうるおしました

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これ何かわかりますか?happy01

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