2010年1月20日 (水)

二十歳

成人式の日に伊勢神宮に初詣をして、晴れ着で着飾る新成人の人たちを見かけました 
羽織袴の「やんちゃ」そうな若者を見て、「二十歳」にいろいろな思いを馳せました
私の「二十歳」はもうはるか昔
自分の記憶もずいぶん曖昧になってしまっています
私たちの世代は「学生運動」に乗り遅れた世代です 
学生運動が激しさをまし、東大の安田講堂事件があったのは私がまだ中学生の時でした 中学生の私にはもちろんまだ無縁の世界でした 
高校ものんびりと穏やかな高校に進みました 
学生運動の余波は確かに高校にまで及び、私の高校の隣の高校では代表が卒業証書を破るという事件も起きていましたが、私はまだまだそんな社会問題にはうとい無邪気な生徒でした
私が高校を卒業して大学に入る頃には、もう過激な学生運動は消滅しかかっていました 私の大学でも残り火はあったのかもしれませんが、表面上は穏やかで紛争などももうありませんでした 
だから私は大学でも学生運動には無縁で、サークル活動を楽しんだり恋をしたり(勉強はあまり熱心ではなかったかな?)していました 
当時流行していたフォークソングも反戦歌や社会派ソングから大きく変化し、ユーミン、オフコースなどニュー・ミュージックと呼ばれる曲が流行、「『いちご白書』をもう一度」が大ヒットした頃です
高度成長を背景に「社会」から「個」が意識されるようになった時代のように思います
そんなことを思いながら、その頃に読んだ「二十歳の原点 高野悦子著」という本を思い出しました 
この本は二十歳で自殺した高野悦子さんが遺した日記が本となったものです 
本棚の奥に今もその本はありました 
ペラペラとめくり読みしてみると、衝撃的でした 
まぎれもなくその本の中に二十歳の私の一つの姿がありました
書き始め

1969年1月2日
「今日は私の誕生日である。二十歳になった。酒も煙草も公然とのむことができるし、悪いことをすれば新聞に『A子さん』とでなく『高野悦子二十歳』と書かれる。こんな幼稚なままで『大人』にさせてしまった社会をうらむなあ。(略)
私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。」

こんなにうまくは表現できなかったけれど、私もこんなふうに未熟でありながらも自己を確立しようともがいていたように思います 成人式に関わる部分ではもっとびっくりしました

1月6日
「成人式を迎えるというので親が十数万円の着物を作った。着物をきて写真をとれと母がうるさく言う。子供をきれいにパカパカに着飾らせて喜んでいるのだから世話ない。人形の身になってみろ!といいたいね。」
1月15日
「今日は成人の日だなあと、どうでもいい感じで思う。(略)
 私は勉強をしていない、遊び好きの大学生であったのだ。
「独りであること」「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。

私も同じように成人式に興味がなく、故郷に戻らず遠く離れた大学の地で成人式を迎えました 
成人式の少し前に母から、祖母も私の晴れ着姿を楽しみに待ち望んでいるから、帰ってくるようにと電話があったのに
私はその時どんな風に母に帰郷を断ったか、もう憶えていませんが、たぶん冷たく拒絶したのだろうと思います
それが私の二十歳
なんともほろ苦い思い出ばかりが浮かんできます 
私は今でもあの頃の自分を否定はしませんが、本当に未熟で自分しか見えていなかったのですね

「最近の若者は・・」とは言わないでおきましょう
私もそう言われるのが大嫌いでしたから 
それにしても、私たちが二十歳だった頃よりもっと未来は混沌としており、希望の持てない社会を私たちは創ってきてしまったようですね 
ひょっとすると、取り返しのつかない「負の遺産」ばかりを若者たちに遺してきたのかもしれません・・・

T_oo_188




| | コメント (16)

2010年1月 4日 (月)

2010年 開幕

Hanahana1

遅ればせながら、2010年 あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
年末にゆっくり沖縄旅行を堪能したぶん慌ただしい年の暮れを過ごし、寒波とともに迎えた寒~い年明けに縮こまっておりました(とは言っても、他県の大雪と比べたら三重県は雪も降ってないのにね) 
まだ初詣にも行かずなんともさえないお正月でした
3日のNHKスペシャルで「まどみちお」さんの特番を見ました 
まどみちおさんは昨年11月で100歳を迎えられたとのこと、おめでとうございます 
まだまだお元気そうで日々新しい発見があるそうです 
もっともっと長生きして、やさしくてあたたかいそれでいて真実を見つめた詩をたくさん書いてほしいものです 
100歳のまどみちおさんを見て、正月ボケの私もちょっとシャキッとしました

ぼくがここに           まどみちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることはできない
ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

今年は本当に「いい写真」が撮りたい、そう思います 
私は花が好きなので、よく花を撮ります
「花はもともと綺麗だから、誰が撮っても綺麗に写る」そう言われたことがあります
でも、綺麗な花を綺麗に写すのは、ほんとはとても難しいことなのではないかと、自分の撮った写真を見て最近思うようになりました
なかなかイメージ通りには撮れません
今年も、いかに花を美しく、可愛く撮るかということに挑戦して行きたいと思います
2010年の幕が開きました 
まどみちおさんのように、日々新しい気持ちで新しい発見があるといいなあ


| | コメント (16)

2009年1月23日 (金)

永久欠番

Iiyo2_2

前回、映画「おくりびと」について感想を書き込みました
「人の死」はだれにとっても避けられないできごとだけに、みなさんいろんな思いを持ってみえるのですね 
私もここ数年、年齢の巡り合わせなのでしょうが近しい人が亡くなって葬儀に参列することが多く「死」について考える機会がふえました 

生まれて初めて「死」について考えたのは中学1年生の時でした 
きっかけがあったわけでもなく、ある夜突然眠りから目が覚めて「自分の死」に思いを馳せました 
「人間はいつか必ず死ぬ でも私が死んだ後も世の中はずっと続く 私がいなくなっても永遠に時は流れる」-永遠に続く世の中で自分は存在しない、ほんの一瞬だけこの世に生きてそのあともずっと世界は続く-そのことが無性に怖くなってその夜は眠れませんでした 
もちろんそんな怖れは次の日にはすっかり忘れ、それ以後は「死」などほとんど考えもせず若い時代を過ごしてきました
 
そして、祖父が亡くなり祖母が続きました 
一昨年に父が逝き、「死」はずいぶんと身近なものになりました 
自分の「死」もまだまだ実感としてではないですが、来るべきものとして受け入れる心もできてきました 
中学生の頃のように「自分はいなくなっても世の中は永遠に続くことへの怖れ」もなくなりました

中島みゆきさんの歌に「永久欠番」という「人の死」をテーマにしたものがあります




永久欠番         中島みゆき

どんな立場の人であろうと
いつかはこの世におさらばをする
たしかに順序にルールはあるけど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと

100年前も 100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く

愛した人の席がからっぽになった朝
もうだれも座らせないと
人は誓ったはず
でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまう
どんな記念碑(メモリアル)も雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれが思い出すだろうか
ここに生きてた私を

100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中
人は永久欠番
宇宙(そら)の掌の中
人は永久欠番




中島みゆきさんは私が大好きなシンガーの一人です 
でもこの「永久欠番」を初めて聴いたとき、あまりに冷静いえ冷徹な歌詞に、いやこの歌は絶対に違う、認めたくないという拒否感がありました 
特に三連の「愛した人の席がからっぽになった朝 もうだれも座らせないと 人は誓ったはず でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまう」の歌詞については、いや私は愛した人のからっぽの席に誰も座らせないみたいな意地のようなものを感じていました 
でも 私の大好きだった祖父や祖母の死から時が経ち、あんなに哀しい気持ちでいた頃と較べると私の心の中に占める存在も薄れてきているのは事実でした 
悲しいけれど人間は哀しみのどん底の状態のまま生きていくことはできない 
2年前に父が亡くなったあと、「永久欠番」を聴く機会があったのですが、その時はすんなりとこの歌が心に沁みこんできました 
私たちは永遠の前には一瞬の存在でしかないし、そして忘れられる存在なのです 
この歌がすんなり心に沁みて初めて気がついたのですが、冷徹なように聞こえたこの歌詞は冷徹などころか「忘れられる存在」の私たちを宇宙という絶対的な空間の中で「確実に足跡を遺す存在」として置いていたのですね 
なるほど、広大なる宇宙の中で私たちは足跡を遺していけるのか―また一つ「死」に対しての怖れがなくなりました
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんごめんね 
私を可愛がってくれたあなたたちを時々忘れてしまいます 
でも、私が生きているあいだあなたたちも私の心のどこかで活きています

Iiyo
 

| | コメント (14)

2008年6月17日 (火)

夕方の三十分

B658_4


6月15日は父の日でしたね

最近は父の日も、ギフト商戦で結構にぎやかになりました

昔は、母の日と比べるとそんなに目立たない日でした

私も、母の日は小さい頃から楽しみにしていて、小さいながらも何をプレゼントしようかな?喜んでくれるかしら?とワクワクしたものです

先月の母の日にも、実母にも義母にも花を贈りました

 

私が父の日にプレゼントを贈ることが習慣になったのは、結婚して、もう一人の父ができてからです

プレゼントを何にするか考えるのはいつも私の役割です

一昨年はパジャマを贈りました

毎年何を贈るか考えて、二人の父に私が気に入った同じものを贈っていました

だから、二人の父はおそろいの品をいくつか持っていたことになります

お揃いのパジャマを着て眠っているんだと想像するとちょっと可笑しくなります

それは、誰も知らない私だけの楽しみでした

 

でも、もう昨年からお揃いの品を買うことはなくなりました

私の父は昨年の1月に亡くなったからです

父の日の私の楽しみも半減しました

でも、命日とは違った意味で、父の日は私が父を思い出す日となりました

 

父の晩年の趣味は木彫りをすることでした

花や風景を彫るのが好きでした

そんな父が、彫刻刀で彫り進めながら未完成になったのは、「菩薩」さまの顔の木彫りでした

時々、父の使っていた彫刻刀を手にとっては「菩薩」さまの顔を彫り進めようと思うのですが、どうしても一刀を入れることができないままです

いつかは、父のその忘れ物を完成させようと決心していますが、彫刻刀を入れるのはもうしばらく時間がかかりそうです

 

今年もプレゼントは一人分でした

もう一つの贈り物は、父と幼い頃の私の思い出に浸ることでした

 

そんな時に、こんな、父と娘を描いた、ユーモラスでほほえましい詩を見つけました

 

B658_2

 


夕方の三十分      黒田三郎

 

 

コンロから御飯をおろす

卵を割ってかきまぜる

合間にウィスキーをひと口飲む

折紙で赤い鶴を折る

ネギを切る

一畳に足りない台所につっ立ったままで

夕方の三十分

 

僕は腕のいいコックで

酒飲みで

オトーチャマ

小さなユリの御機嫌とりまで

いっぺんにやらなきゃならん

半日他人の家で暮らしたので

小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

 

「ホンヨンデェ オトーチャマ」

「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」

「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」

卵焼きをかえそうと

一心不乱のところに

あわててユリが駆けこんでくる

「オシッコデルノー オトーチャマ」

だんだん僕は不機嫌になってくる

 

化学調味料をひとさじ

フライパンをひとゆすり

ウィスキィーをがぶりとひと口

だんだん小さなユリも不機嫌になってくる

「ハヤクココキッテヨォ  オトー」

「ハヤクー」

 

かんしゃくもちのおやじが怒鳴る

「自分でしなさい 自分でぇ」

かんしゃくもちの娘がやりかえす

「ヨッパライ グズ ジジイ」

おやじが怒なって娘のお尻をたたく

小さなユリが泣く

大きな大きな声で泣く

 

それから

やがて

しずかで美しい時間が

やってくる

おやじは素直にやさしくなる

小さなユリも素直にやさしくなる

食卓に向かい合ってふたり坐る

 

今の私には、甘えたりケンカをしたり、そして、しずかで美しい時間を過ごそうにも、その父はもういません

これからは、父の日のせめて夕方の三十分、亡き父を思い出して一人で静かな時間を過ごそうと思っています

そして、いつの日か、彫刻刀を握って、父の形見を完成させたいと願っています


B658_5

 

 

| | コメント (15) | トラックバック (0)

2008年5月28日 (水)

空の青さをみつめていると

5273

5月ももう終わりの週を迎えました
ところによっては、30度を越す暑い日もあり、初夏から真夏へと移っていく時期でしょうか
とは言っても、もう日本列島の南から梅雨がはじまっています
本格的な夏は、この梅雨が明けてからですね

今のうちに、晴れわたった青空を満喫してみませんか?
今日も爽やかな五月晴れでした
最近では5月の初夏の青空を「五月晴れ」と呼んでいますが、旧暦ではもう5月は梅雨の最中なので「五月晴れ」は本来は、梅雨の合間に顔を見せる青空のことをさしていたようです
真夏の真っ青な空でもなく、また秋の高く澄んだ青空とも違い、淡い青空が広がっています
確かに爽やかなのですが、何故かじーっと見つめていると取り残されたような寂しさも感じてしまいます

なんとも言えないこの奇妙な感覚を、谷川俊太郎さんは、みごとに表現してくれます


かなしみ

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもない落とし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった


「何かとんでもない落とし物を」とは何でしょうか?
純粋な心?若さ? もう取り返すことのできないものを失くしてしまったかなしみが、私にはよくわかる そんな5月の青い空です

谷川俊太郎さんは、空をよく詩の中に描きますが、別の詩にはこんなふうに書いてあります


空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰っていかない

(六十二のソネット 41)より


生きていることそのものが輝いている反面、何ともいえない不安、孤独感―そんなものを私は初夏の青空を見つめながら感じています

ちょっぴり生意気な哲学みたいなってしまいましたが、梅雨の前にふっとそんな世界に紛れこんだ一日でした



5271

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2008年1月 1日 (火)

はじまり

はじまり

Cab2


明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願いします

 

新年を迎え、ちょっと元気の出る詩を紹介します

 

 



 

 


 

バラはじまり  工藤直子

 


畠があり川があり
また畠があり森などもあって
ついにはついには地平線がある

背中をのばして地平を見つめ
地平の奥の雲を見つめ
雲のむこうの青さを見つめ
青さの中のみえない星を見つめ・・・
おお 目が痛くなるのだが
何もないあそこから
何かが始まっているようだ

光が駆けぬけた!
風が追いぬいた!

・・・・・
空はいま 

いまのいま 突きぬけた!

 

忘れたいことがあり
忘れたくないことがあり
判りたいことがあり
判らないことがあり・・・
でも しかし・・・

だが しかし・・・
そんなことどもは まるで
どうでもいいようなふうに
ごうごうと 地球はまわりつづけ・・・
あらゆる生き物の鼓動をのせて
ごうごうと地球はまわりつづけ・・・


目まいした私の前に
相変わらず畠があり川がある
光が また駆けぬけた!
風が また追いぬいた!
・・・・・

空はいま 

いまのいま 突きぬけた!

何もないあそこから
確かに何かが始まっているようだ


Cab2_2



 


 

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)