ちょっと思ったこと

2008年7月 8日 (火)

今 あなたに・・・

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前回、政治や経済に疎い私が、あまりの値上げラッシュに、今の政治への不信、そして本当に全ての人々のことを考えてくれる理想的な政治家の出現に思いを馳せた文章を載せました
思いのほかたくさんのコメントをいただきました
やはり、政治問題、経済問題は難しいですね
おりしも、7月7日に洞爺湖サミットが開かれました
7月7日といえば七夕、偶然でしょうが、彦星と織姫が1年に1度逢って、熱い想いを交わすその日に、世界の主要国の首脳たちが顔を合わせ、地球の平和安泰について熱い思いを語る初日となりました
実際にサミットが開かれているホテルのロビーでは、夜に七夕行事が行われ、各国の首脳や夫人らがそれぞれ願いを込めた直筆の短冊を書き、飾りつけたそうです
ちょっと粋なはからいですね
わが国の福田首相は「温故創新 人類の叡智に学び未来を拓く」と書いたそうです
なかなかいい言葉で、少し福田首相を見直しました(とはいえ、やはり好きにはなれませんが・・)

さて、今回のサミットでは、アフリカの貧困撲滅や支援、世界経済、核不拡散などが議題になるとともに、今回のサミット最大のテーマである地球温暖化について議論が交わされることになります
地球規模で危機に瀕している現代、主要国の利益追求ではない、全世界を救うためのサミットであってほしいと願うばかりです



ジョン・レノンが歌った「イマジン」のような、単純でわかりやすい世界平和が訪れないものでしょうか
私の好きな井上陽水の「最後のニュース」という歌が、ここに来て本当に意味深いメッセージソングとなりました

    
最後のニュース  ←(クリックしてね^^)

闇に沈む月の裏の顔をあばき
青い砂や石をどこへ運び去ったの
忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れ
みんな泣いたあとで誰を忘れ去ったの

飛行船が赤く空に燃え上がって
のどかだった空はあれが最後だったの
地球上に人があふれだして
海の先の先へこぼれ落ちてしまうの

今 あなたにGood-Night
ただ あなたにGood-Bye

暑い国の象や広い海の鯨
滅びゆくかどうか誰が調べるの
原子力と水と石油達の為に
私達は何をしてあげらるの

薬漬けにされて治るあてをなくし
痩せた体合わせどんな恋をしているの
地球上のサンソ、チッソ、フロンガスは
森の花の園にどんな風を送ってるの

今 あなたにGood-Night
ただ あなたにGood-Bye

機関銃の弾を体中に巻いて
ケモノ達の中で誰に手紙を書いてるの
眠りかけた男達の夢の外で
目覚めかけた女達は何を夢見るの

親の愛を知らぬ子供達の歌を
声のしない歌を誰が聞いてくれるの
世界中の国の人と愛と金が
入り乱れていつか混ざりあえるの

今 あなたにGood-Night
ただ あなたにGood-Bye




この歌は、「筑紫哲也NEWS23」で流されたので、知っている人も多いと思います
サミット開催のこの時期に改めて聴いてみると、鳥肌が立つほど、今の世界に警告をみごとに放った歌だと思います

リフレインになっている
「今 あなたにGood Night」「ただ あなたにGood Bye」の「あなた」が、将来を背負う子供たちだと考えた時、私たちも真剣に危機に瀕している地球を救おうとするひとりでありたいと、願います

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2008年5月20日 (火)

見えない配達夫

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私は小さい頃から花が好きでした
というより、小さい頃を思い出すと、思い出の中にいつも花々があったような気がしています
それぐらい草花が身近にあったということでしょうか・・・
今は、れんげ畑や菜の花畑を見るのにも、わざわざ出かけなければ見られなくなってしまいました
大人になってからはガーデニングに凝ってみたりもしました
四季の色とりどりの花々で庭をいっぱいにするのはとても楽しみなことです(最近はちょっと手抜きになってしまいましたが・・・笑)

近年あちらこちらに出かけて寺社や史跡を見てまわることが多くなりました
カメラでそんな風景を写していくうちに、野山の草花や木々に強く惹かれるようになりました
野山の草花や木々は、四季の移ろいに応じてさまざまな顔を見せてくれます
ところが、あまりに種類が多すぎて「この花の名前はなんだろう?」「この木は何だろう?」と名前のわからない草花や木々がたくさんあります
そこで、植物図鑑や花の歳時記などの本を開く機会が増えました
そして、専門的な図鑑より小中学生向けの図鑑の方がずっとわかりやすく楽しく読めることにも気がつきました

そんな本の中で、福音館書店の『植物記』は私のお気に入りの本です
著者は、埴沙萠(はに しゃぼう)さんという人です
この『植物記』は名のごとく、植物図鑑と違って植物の生態にテーマを設けて編集されています

たとえば「重量あげ」というテーマで、芽生えた草花が石をも押し上げて伸びる写真を集めていたり、「夏の夜の宝石」というテーマで、朝、葉先に光る水玉ばかりを集めた写真を載せていたりと、本当に物語を読むような楽しさで野山の花々に触れることができます

この本のはじめに書かれた、埴沙萠さんの「あすにむかって生きる植物」という文章も、とてもしゃれています


《4月のおわりころ、大分地方に、おそ霜がおりたことがある。大分としては、記録的な大霜で、農作物に大きな被害がでた。
野山でも、のびはじめたばかりの木の芽が枯れた。山フジは、色づきはじめたつぼみまで枯れてしまった。フジは、みないっせいに芽をふいて、つぼみをだすので、ひとばんの霜にみなやられてしまった。今年はフジの花が咲かないと思った。
ところが、3週間おくれて、花を咲かせる「のろま」なフジが、ひと株だけあった。そのフジだけが、「のろまな、はみだしもの」であったために、霜に枯れないで、花を咲かせることができた。「自然」は、こんなときのために、「はみだし」を用意してあるんだなあと、感動したものだった。
そういった「自然」、そして、生命への想いが、植物にカメラをむけさせている》


この埴沙萠さんの、はじめの文章を読んでいるうちに、茨木のり子さんの「見えない配達夫」という詩を思い出しました


三月 桃の花はひらき
五月 藤の花々はいっせいに乱れ
九月 葡萄の棚に葡萄は重く
十一月 青い蜜柑は熟れはじめる

地の下には少しまぬけな配達夫がいて
帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう
かれらは伝える 根から根へ
逝きやすい季節のこころを

世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に
すべての植物たちのもとへ
どっさりの手紙 どっさりの指令
かれらもまごつく とりわけ春と秋には

えんどうの花の咲くときや
どんぐりの実の落ちるときが
北と南で少しづつずれたりするのも
きっとそのせいにちがいない

秋のしだいに深まってゆく朝
いちぢくをもいでいると
古参の配達夫に叱られている
へまなアルバイト達の気配があった


植物学者であり写真家でもある埴沙萠さんの見た自然のすばらしさと、詩人、茨木のり子さんが描き出した自然の面白さがこんなにみごとに一致しました・・・

埴沙萠さんは、はじめのことばを、こう結んでいます


《いっぽんの草が、ささやかに生きることのために、どれほど大きな英知と愛とが、「自然」からそそがれていることか。
そのことを伝えたいという思いもあって、この「植物記」をつくる決心をした。
あなたがたは、きっと、庭のすみの小さな草にも、したしみをもってくれるだろう。愛の目をむけてくれるだろうと思う。》


これから、私も親しみを持って草花や木々、そんな自然の営みに目を向けていこうと思います

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2008年3月23日 (日)

レモン

 
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3月24日が「檸檬忌」と呼ばれる日であることをご存知ですか?

たぶん知らない方の方が多いでしょうね。

「檸檬忌」は昭和初期に活躍した作家梶井基次郎が、昭和7年3月24日に亡くなった日で、梶井の代表作「檸檬」にちなみその命日を「檸檬忌」と呼んでいます。
梶井基次郎は31歳の若さで亡くなり、作品もそんなに多くはありませんが、その鋭敏な感受性による、やや特異な短編は彼の没後、評価が高くなった作家です。

私は学生の頃、やはり梶井の「檸檬」を読み、その魅力に心酔し他の作品もあれこれ読んでみました。
梶井の代表作である「檸檬」はこんなふうに始まります。


「えたいの知れない不吉な魂が私の心を始終圧へつけていた。焦燥と云おう か――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相當した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した 肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な魂だ。以前私を喜ばせたどんな美し い音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。」


そして、ある朝「私」は京都の街から街へ歩き回り、「私」の好きな果物屋にたどり着きます。
そこで、檸檬を買うことになります。


「その日私は何時になくその店で買物をした。というのはその店には珍しい 檸檬が出ていたのだ。檸檬などありふれている。が其の店というのもみすぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見 かけたことはなかった。一體私はあの檸檬が好きだ。レモンイエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった 紡膵形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。」


それから「私」は買った檸檬を握り締め、また歩き続け、最後に丸善にたどり着きます。
その丸善で画集を一冊づつ抜き出してみるうちに、一冊一冊の本をまるで色鮮やかな城のように積み上げます。
そして、とんでもないことを思いつきます。
色鮮やかに積み上げた本の城の頂上に果物屋で買った檸檬を置くことです。
そのシーンはこんなふうに描かれます。


「やっとそれは出来上がった。そして軽く跳ねあがる心を制しながら、その城壁の頂に恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。」


さらに「私」は奇妙な企みを思いつきます。

つまり、その画集の頂に檸檬をおいたまま外へ出て行くという企みです。
そして私は、すたすたと出て行きます。
冒頭の「えたいの知れない」不吉なかたまりは、この時吹っ飛んでしまうのです。
その時の気持ちはこんなふうに描かれています。


「変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。」


どうですか?
何とも奇異で、それでいて青年期の言いようのない憂鬱感をみごとに表現した短編だと思いませんか?
ただ、今読み返してみると、ちょっと気分が滅入るような作品のように感じました。
それでも、私が学生だった頃には、その特異な世界にどっぷりとつかってしまっていたのです。



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さて、「檸檬忌」を過ぎると桜前線もどんどん北上し、全国で日本人が大好きな桜開花のニュースが流れることでしょうね。
梶井基次郎の作品で「檸檬」と同じくらい好きな作品に「桜の樹の下には」があります。
梶井は桜をこんなふうに描きました。


「桜の樹の下には屍體が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍體が埋まっている。これは信じていいことだ。」


これがその冒頭の部分ですが、桜の大好きな人にとってはその発想に「ええっ!」と、その気味悪さを受けつけない人もいるかもしれませんね。
しかし、読み続けていくと嫌悪感を抱きそうな表現が、実は桜の花のみごとさを解き明かしてくれているような鋭い感性の文章だと思えてきます。


「お前、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍體が埋まっていると想像して見るがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがお前には納得が行くだろう。
馬 のような屍體、犬猫のような屍體、そして人間のような屍體、屍體はみな腐爛して蛆が湧き、堪えられなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらし ている。桜の根は貪欲な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食絲のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り何があんな蕋を作っているのか、俺は毛根の吸い上げる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。」


私はこの「桜の樹の下には」の短編を読んだ時、透き通るような液が桜の内部を伝っていく美しい情景を思い描いて、鳥肌が立つような感動を覚えたのを思い出します。

3月24日は「檸檬忌」

爆弾のように置かれた檸檬
死体から出る水晶のような液を吸って咲く桜
ちょっと想像力を働かせて、梶井基次郎の世界に浸ってみませんか?


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2008年2月21日 (木)

「純」

先日、日本アカデミー賞の授賞式がありました
作品賞は「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」、最優秀監督賞、最優秀主演女優賞も同じく「東京タワー ・・・」の、松岡錠司監督、樹木希林さんがそれぞれ受賞して、今回は「東京タワー ・・・」の年だったと言えるかもしれませんね


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と言いならが、私は「東京タワー ・・・」だけでなく、他のノミネート作品も、今のところ全く観ていません
洋画はスケールの大きい大画面で観るからこそ、迫力を感じたり、感動したりする作品があります。でも、邦画はレンタルしてテレビ画面で観ても十分に楽しめると思っています
そこで、ついついレンタルが開始されてから、家でのんびりと観ることが多いのです
(もちろん、映画館で観る映画もあります 宮崎駿監督のアニメ作品は映画館で観ることが多いです)
日本アカデミー賞のノミネート作品も、もう一つの映画賞とも言うべき、「キネマ旬報」で選ばれた作品と合わせ、レンンタルが開始されたら、何本か観てみたいと思っています


ところで、日本アカデミー賞の、最優秀主演男優賞は、吉岡秀隆さんが、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」で獲得し、「同じ役で2度もいただけてびっくり」と本人は語っていました

吉岡秀隆さんは、一見頼りなげな感じがしますが、何故かとても存在感があり、役者のオーラのようなものを感じさせる俳優に思えて、私は大好きな俳優の一人なので、心から拍手を贈りたい気持ちです

吉岡秀隆さんといえば、テレビドラマ「ドクターコトー」や、映画「ラストソング」「学校Ⅱ」で名演技を見せ、若いのに日本映画界では貴重な俳優だと思っています

でも、私にとって吉岡秀隆さんの最も好きな作品は、今や伝説のようになった吉岡秀隆さんが「純」役を演じた「北の国から」です


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「北の国から」は連続ドラマとして放映されていました。連続ドラマの終了後、「北の国からドラマスペシャル」として、「北の国から’02遺言」で本当の最後を迎えるまで、次々と特別編が放映され、そのどれもが心を打つものでした。

ちょうど、この季節に思い出す、私の最も好きな特別編の一つに「北の国から’84夏」があります。「えっ!今は冬なのに!’84夏なの?」と思われるかも しれませんが、北の国からのファンならご存知のように、一番印象深いシーンは、黒板一家が、苦労の末築きあげた丸太小屋が、雪深い冬に、純の不注意で火事 になるシーンです。


今でも、夢の丸太小屋が燃えている現場で、純が炎の中で崩れていく丸太小屋にショックを受けながらも、頭の中で、何て言い訳したらいいのか。どんなふうにいい逃れようかと言葉にならないつぶやきをあげている、その顔がまざまざと浮かんできます。



  轟々と渦巻き燃える。
  放水。
  サイレン。

人垣
  放心したように立っている純と正吉。
  純。
語「どうしていいかわからなかった。
  どうしていいかわからなかったけど――――。
  そのとき僕は一生懸命、頭の中で考えてたンだ。
  何て言い訳したらいいのか。
  どういうふうにいい逃れようかって」

火事
語「火もとは――――あのとき急いで着がえ、干し網の上に放ったシャツだと思われた。
  放ったとき、たぶんキチンとのっからず、どっかにひっかかってぶら下がってたンだ。
  それに火がついて燃えたンだと思われた。
  蛍に年じゅういわれてたことだ。
  あれが原因だ。
  そうにちがいない。
  でも――――。
  そのことはかくさなくちゃいけない。
  何とか別の理由を考えなきゃ」


語「僕は必死に考えてたンだ」
  音楽――静かな旋律でイン。B・G。
                    
(「北の国から
’84夏」より)
 



あの時の純役の吉岡秀隆さんが、アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した時の顔とだぶって見えました



吉岡秀隆さん二回目の受賞、おめでとうございます。

これからも、きっと心に残る名演技を見せてくれることと思います。


でも、ごめんなさい。


やはり観るのは、映画館ではなく、レンタルになりそうです^^


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2007年10月11日 (木)

さんま苦いか塩っぱいか

秋がだんだんと深まってきましたね。

我が家の食卓にはこの時期、秋刀魚がよく登場します。

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秋刀の魚と書くように、秋が旬の、しかも安くて庶民の味方の秋刀魚です。

脂のよく乗った秋刀魚、本当に美味しいですよね。

我が家では夫だけが、秋刀魚のはらわたまで食べます。

秋刀魚好きの私も、どうもはらわたは苦手です。

秋刀魚の塩焼きといえば、大根おろしを添えて、醤油かポン酢で食べるのが定番ですが、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」では、秋刀魚に青い蜜柑の酢をしたたらせて食べるというのでしたね。

 


実は「秋刀魚の歌」に出会ったのは中学の国語の授業でした。

「秋刀魚の歌」が教科書に載っていたわけでもなく、プリントして配られたわけでもありません。国語の教師が何故かこの歌の一部を朗読してくれたのでした。

その時に先生が「これは男と女の詩で、悲しい詩なんだよなぁ~。でも、君たちにはわからんやろなぁ~」と言った言葉を、何故かよく覚えています。

詩の全てを読み返し、その「男」が佐藤春夫自身であり、「人に捨てられんとする人妻」が谷崎潤一郎の妻だと知ったのは、もう少し大人になってからの事でした。

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秋刀魚の歌   佐藤春夫

あはれ
秋風よ
情あらば伝えてよ
― 男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思いにふける と。

さんま、さんま。
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男のふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒夢に非ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝えてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝えてよ
― 男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす、と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あわれ
げにこそは問はまほしくをかし。


 


 

さて、庶民の味方秋刀魚に、自分の悲恋を託して詠った佐藤春夫のこの詩は、何故か自然と口ずさんでしまいます。

もの哀しい秋の、悲しい恋の話だけに、しみじみと口ずさむのですが、心のどこかに安らぎを覚えるのも確かです。

それは、悲恋ではあったけれど、10年後には佐藤春夫が晴れて谷崎潤一郎の妻千代さんと結ばれたということを知ったからかもしれません。


 

あなたは秋刀魚の上に何をかけて食べますか?

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余談になりますが、私の住む地域の南の方では、秋刀魚を姿のまま押し寿司にした「秋刀魚寿司」が有名です。

その南の方の地域の海に秋刀魚がやって来る頃には、秋刀魚の脂がだいぶ抜けてしまっていて、その方が、美味しい押し寿司ができるのだそうです。

 

 

この秋刀魚寿司も、けっこういけますよ。

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