2008年4月10日 (木)

桜に狂う

桜がもう満開の最盛期をむかえた4月5日、名古屋城に行ってきました。
名古屋城は桜の名所でもあるのですが、今回は名古屋城天守閣で開かれている「桜の美術」展が目的でした。

最近犬山城、岐阜城と城めぐりが続きましたが、何故か日本三大名城の一つとされる名古屋城はあまりに都市部の中心にあり有名すぎてかえって訪れる機会がありませんでした。

「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と歌われるように、名古屋市そのものが城とともに誕生した街です。

名古屋市街に入り名古屋城を目指すと名古屋城のシンボルである金鯱を天守閣にいただいた名古屋城が見えてきました。


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さすがに威風堂々としており、美しいながらも圧倒的な大きさを誇っていました。

やはり花見客と「桜の美術」展を目当ての人々でごったがえしていました。

お堀沿いに咲く大木の桜の並木は、これはもう言葉にできないほどの綺麗さでした。

少し風が吹くと満開の大樹から桜の花びらが降り注ぎ、まさに桜吹雪の中を歩いている感じでした。


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特別展と入城料とセットで800円を払い正門から入っていきました。
今回の目的である「桜の美術」展は2階で行われていました。


杉の戸一面に描かれた「桜図」や長谷寺の花見の様子を描いた屏風など見事な作品が飾られていました。

でも、その中でも特に目を引いたのが「桜に狂う」と題された絵の数々です。
それは、江戸時代に桜の絵ばかりを描いていた画家たちの絵のコーナーでした。
彼らは自らを「桜癖」(おうへき)「桜顛」(おうてん)と称し桜にこだわることを誇りに思って一生をすごしました。
江戸時代は青葉や赤葉、白花や赤花、黄花、一重や八重や枝垂れ桜など、さまざまな種類の桜が初春から晩春までを長期にわたりのどかに咲き誇り、愛でられてきたのだそうです。
彼らはそんな各種の桜のさまざまな表情を描くことに専念していたそうです。

彼らは総称として「桜狂」とも呼ばれています。

「桜狂」の画家はそんなに著名ではありませんが、第一人者の三熊思孝(みくましこう)、その妹の三熊露香(みくまろこう)その弟子織田瑟々(おだしつしつ)、広瀬花隠(ひろせかいん)などの画家がいました。


三熊思孝は、定職につかず貧しくとも少しも気にせず桜ばかりを描いていたという「桜に狂う」のまさに第一人者と言えます。
思孝の絵は「桜」だけでなく桜のまわりに鳥や虻を配し、桜を中心とした空間の広がりに特徴があるようです。


妹の三熊露香は、さすがに兄の影響を受け、画風が似ているように思いました。
ただ兄よりも桜そのものの描写が上手く品種の違いを意欲的に描いたとされています。


私が気に入ったのは、露香の門人、織田瑟々という画家です。
織田信長の末裔なんだそうです。
十代の頃から描いた桜から五十歳前後の末期にあたる作品が、それぞれの年齢に応じて味わいを見せ特に死ぬ前の作品などは清らかで優雅な感じを受け、とても印象に残りました。



「桜に狂う」――――桜好きの日本人を代表する画家たちの作品に巡り合えた名古屋城の一日でした。


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2008年4月 1日 (火)

「国盗り物語」の城にて

三月も終わりかけの土曜日、花見にはまだ早いかなと思い、以前犬山城を訪れた時、帰り道に山の上にぽつんと見えていた岐阜城に行ってみることにしました。

岐阜城といえば、NHKの「国盗り物語」で有名な斉藤道三、そして名将織田信長の居城として知られています。

行きは長良川の中堤の道を上っていきました。
雪解け水のせいかわりと水量の多い長良川沿いにずっと車を走らせました。

川沿いに走るのはとても気持ちのいいものです。
まだ青々としてはいませんでしたが、菜の花や木蓮などが彩りを添えて春到来の道中でした。


岐阜市内に入ると小高い山の頂に城が姿を見せていました。

ああ、あれが金華山でその上に見えているのが岐阜城なんだな、と思いながら岐阜市街に入っていきました。
金華山の麓には岐阜公園があり、桜の花見で賑わっているだろうと思っていたら案の定、道が混んでおり駐車場にようやく車を止めて岐阜城へ向いました。

健脚な人や地元の人は七曲登山道や百曲登山道を使って登るようですが、私にはそんな元気がなくロープウェイを利用しました。
10分ごとにロープウェイは運行しており、ここでは待つこともなくロープウェイに乗って上まで上がりました。
山腹に朱塗りの三重の塔が見え、上がるにつれて眼下に岐阜市街が見下ろせました。
ロープウェイを降りてからもしばらく山道や階段が続き、ようやく岐阜城に着きました。


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真っ白な壁の綺麗なお城でしたが、それもそのはず、昭和18年失火で焼けた城が再建されたのが昭和31年で、城そのものにはそんなに歴史的な価値はないようでした。

200円の入場料を払って城内へ入りました。
城内には織田信長の座像や斉藤道三の人物画、他に刀や武具などが展示されていました。

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岐阜城に行ってみて最もよかったのは、城そのものではなく、城の最上階からの眺めでした。さすがに標高329mの山上に建てられた城だけに、眺めは抜群でした。

北側には犬山城と同じように真下に長良川が見え、遠くを見やるとまだ雪をいただいた乗鞍岳やアルプスの山々が見え、西側は長良川沿いに岐阜の市街地が開け、こちら側も遠くを見ると伊吹山が見えていました。


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そして、南側にはこれが濃尾平野かと少し感動を覚えるほどの広々とした平地が広がっていました。
遠く霞んで名古屋駅にあるセントラルタワーズや名古屋ドームまでが望めました。


山の多い日本なので、広々とした平野を眺めると少し感激してしまいます。

かつて、織田信長もこの平野を眺め、天下統一を夢見ていたのでしょう。


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景色を満喫して、ロープウェイで降りてくると麓の岐阜公園は自然を生かしよく整備された綺麗な公園でした。
やはりまだ満開とは言えない五分咲きから八分咲きほどの桜も綺麗でした。


明智光秀によって本能寺で無念にも討ち死にした織田信長の野心に少し触れた
今回の岐阜城への小旅行でした。


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2007年12月14日 (金)

ぶらっと伊賀上野

私の家から見える山々も高い山では頂上が白くなっています。
雪がもう降っているのでしょうね。
冬の気配がますます強まってきました。


初しくれ猿も小蓑をほしげ也

これは松尾芭蕉の句です。

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先日、伊賀上野に用事があって行った帰りに、時間があったので、上野公園に立ち寄ることにしました。
上野公園は、上野城あり、忍者屋敷あり、芭蕉翁記念館ありと何ともバラエティーにとんだ公園です。
忍者屋敷と芭蕉翁記念館の取り合わせは、あまりにギャップがあり過ぎて、ちょっと笑えます。子供に人気の(?)忍者屋敷には行かずに、芭蕉翁記念館は300円の入館料を払って見学してきました。
芭蕉直筆の掛軸などもあり興味をそそられましたが、やや展示物不足の感はいなめませんでした。

Iga2 その後、芭蕉の旅する姿をモチーフにした「俳聖殿」という建物を見てきました。
「俳聖殿」は、昭和17年10月、芭蕉生誕三百年祭を記念して建てられた、木造檜皮ぶき、八角重層塔建式の聖堂です。
外容は芭蕉の旅姿を表現した特殊な様式の建物で、二階の屋根は旅笠、一階の八角型の屋根は旅衣、その中間は顔を、大きな廂を支える周囲の円柱は行脚する翁の脚絆と杖をアレンジしたものだそうです。

さて、松尾芭蕉と言えば、あまり俳句に馴染みのない人でも「古池や蛙飛び込む水の音」の句は浮かんでくるほど、有名な俳人ですね。
でも、実を言うと私も中学の時に習った「奥の細道」の作者であるというぐらいで、あまり松尾芭蕉については知りませんでした。
最近短歌や俳句に親しむ機会が増えるにつれて、改めて松尾芭蕉のすごさが、少しづつわかりかけてきたような気がします。
今まではそんなにも思っていなかったのに、我が三重県がその松尾芭蕉の生誕の地であるということに誇りさえ覚えるようになりました。

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「俳聖殿」の中です。芭蕉の像がありました^^


  

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芭蕉が生まれた家です・・・


今の季節にぴったりな芭蕉の句をいくつか紹介しますね^^


冬の日や馬上に氷る影法師


何にこの師走の市にゆく烏

なりにけりなりにけりまで年の暮れ

夜すがらや竹氷らする今朝の霜

雪と雪今宵師走の名月か

忘れ草菜飯に摘まん年の暮

旅に病で夢は枯野をかけ廻る



やはり、芭蕉の句っていいですよね!

でも、まだ私は芭蕉の世界に一歩足を踏み込んだ状態のままです。
芭蕉については、もう少し調べたり、いろんな俳句に触れたいと思っています。

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上野公園から伊賀平野を眺めました・・・


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