季節2008年

2008年12月 5日 (金)

十二月のうた

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12月になりました
12月の声をきくと、1年の終わりだなと感慨深くなります 
旧暦名で「師走」-これは現代でも活きている言葉ですね 
もともとは「為果つ(しはつ)月」-一年の終わりの物事をなし終える月の意-が語源だそうです 
字義の通り、師(僧や神職)も忙しく走り回るところからきているとも云われています  師ではなくても、なんとはなく気忙しく慌ただしい雰囲気になってしまいますね

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十二月のうた          茨木のり子

熊はもう眠りました
栗鼠もうつらうつら
土も樹木も
大きな休息に入りました


ふっと
思い出したように
声のない 子守唄
それは粉雪 ぼたん雪


師も走る
などと言って
人間だけが息つくひまなく
動きまわり


忙しさとひきかえに
大切なものを
ぽとぽとと 落としてゆきます

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あまりせわしいと、この詩を読んでゆっくりとゆっくりと、と自分に言い聞かせるようにしています
家の近くの公園に銀杏の大木があります 
毎年その大銀杏の黄葉を楽しみにしていました 
今年もそろそろ見ごろだろうと思って、カメラ片手に出かけました 
ところが、もうすっかり黄色の葉を散らせて裸の木になっていました 
樹下は黄色の絨毯できれいでしたが、楽しみにしていただけにがっかりしました
そこに数人の子どもたちが遊びにきました 
子どもたちはいっぱいの黄色の落ち葉を見つけて大喜びでした 
雪合戦ならぬ落ち葉合戦 手に手に落ち葉を拾い集めては投げ合って歓声をあげていました 
そうか、子どもたちはこんな風に落ち葉で遊べるんだとしばらく眺めていました

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「夜長」は秋の季語ですが、冬となると「短日」「日短(ひみじか)」が季語となります   
夜長と短日ともに同じ意味なのに表す季節が違うというのも本当に微妙な違いを表現する日本語の素晴らしさです 
「短日」というと日射しの弱さや寒さ、慌ただしさの意味が感じられ、冬にぴったりです まだまだ日が短くなる12月、1年を振り返りながらゆっくりと大晦日を迎えたいものです

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2008年11月14日 (金)

おちば ひらひら

しばらく寒くて曇り空の日が続いていましたが
2日前からまた青空が戻ってきました

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そして、昨日はとっても綺麗な夕焼けでした
その時間、私は電車に乗っていたので上手に写真に収められませんでしたが、窓からずっと暗くなるまで、暖かい茜色の空を眺めていました
夜には、満月も綺麗でした
朝起きたら、西の空にまだ沈まない綺麗なお月さまが見られましたよ
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紅葉前線も街まで降りてきて、紅や黄色に色づいた街路樹や公園の木々が目を楽しませてくれています
一昨日、散歩の途中に立ち寄った公園もモミジが綺麗でしたが、中にはすっかり葉を落としてしまっている広葉樹もありました
そんな木の下で、はっとするような美しい落ち葉の表情が見られました

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お日さまの光でスポットライトのように照らされていたり
葉っぱの影に隠れてる小さな植物の葉を、影絵のように浮かび上がらせたり
枝を離れた葉っぱも、最後にまた違った楽しみを私にプレゼントしてくれたみたいです
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おちば ひらひら   まど みちお


おちば ひらひら
どこへ どこへ

  おにわの
   ゆうびんごっこ
    えはがきに なりに

おちば ひらひら
どこへ どこへ

  えんがわの
   ままごと
    おせんべいに なりに


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2008年11月 5日 (水)

ある日ある時

11月は、異名では霜の降る月の「霜月」や「神楽月」という呼び方もあります
11月の声を聞くと、1年の終わりをどうしても意識してしまいます 
本屋さんの店頭にクリスマス関連の本がコーナーとして設けられ、年賀状印刷のソフトも所狭しと並べられるようになってきました

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大型ショッピングセンターでは通路にクリスマスツリーが飾られていました 
商戦とはいえ今年もあと2ヶ月だなぁと感慨にふけってしまいます

海の向こうのアメリカでは大統領選も大詰め、最高の盛り上がりをみせています 
選挙であんなにも盛り上がるものなのですね 
アメリカ大統領初の黒人大統領誕生かという歴史的な意味合いもあるのでしょうが、私の国の選挙とのあまりの違いに驚きの一言です
私の国は「解散・総選挙内閣」と言われた現内閣がじりじりと総選挙を引き延ばし、与党に少しでも有利な総選挙の日程を模索しているようでなんとも呆れたものです
政治の話になると、どうも愚痴っぽくなっていけませんね
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昨日は朝は曇っていましたが、午後から雲がひきはじめ秋の白い雲を配した美しい青空が広がりました 爽やかな秋の光景でした

ある日ある時     黒田三郎

秋の空が青く美しいという
ただそれだけで
なにかしらいいことがありそうな気のする
そんなときはないか
空高く噴き上げては
むなしく地に落ちる噴水の水も
わびしく梢をはなれる一枚の落ち葉さえ
何かしら喜びに踊っているように見える
そんなときが

日本人が持つ秋のもの哀しさを感じさせない、少し新しい感覚を表現した、とても素敵な詩です 

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また秋は「実りの秋」でもありますね 人間たちが食べるものはもちろん団栗や木の実たちも、工藤直子さん流に言うと「秋になると 木の実は うれしくなる いちばん いい様子をして (見てちょうだい)と あっちこっちに声をかける」ように実りをつけます 冬ごもりをひかえた動物たちが、今が食べ時と一心不乱に食べる様子を想像してしまいます
次は冬ごもりをひかえた蛙の切ない詩です

秋の夜の会話   草野心平
 
さむいね。
ああ さむいね。
虫がないてるね。
ああ 虫がないてるね。
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずいぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだろうね。
腹だろうかね。
腹とったら死ぬだろうね。
死にたくはないね。
さむいね。

ああ 虫がないてるね。



思わず「蛙くんがんばれ!」と声をかけたくなります 人ではない動物たちの目から見た晩秋を教えてくれる心に響く詩です ちなみに草野心平さんは蛙の冬眠をこんな風に表現しています

冬眠     草野心平


         ●


さて晩秋です 

つるべ落としのあと「秋の夜長」が待っています 
本でも読んで去り行く秋のいろいろな顔を再発見してみたいものです

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2008年10月 6日 (月)

秋は夕暮れ

10月になりました
10月は旧暦の異名で「神無月」ですね
昔の各月の呼称は意味があってそれぞれおもしろいのですが、その中でも「神無月」は特に興味を引く名前です
中学生の頃、古典の時間に異名を学習した時他の月名は忘れましたが、10月の「神無月」だけは変わっていて覚えてしまいました
秋の実りや収穫が終わり、日本中の神様が出雲神社に集まっていなくなることからつけられたそうです
ちなみに、神様たちが集まる出雲神社のある鳥取県ではなんと「神在月」と呼ぶのだそうです なんとも理にかなっていますよね


さて、私は夕焼けの風景がどの季節でも好きです
でも、秋の夕焼けはなんとも季節に似合っているように思います
清少納言の「枕草子」の序段はあまりにも有名ですが、その秋の段はこうでした


秋は夕暮れ 夕日のさして 山の端 いと近うなりたるに からすのねどころへゆくとて  
三つ四つ 二つ三つなど とびいそぐさへ あはれなり



私たち日本人が思い描く秋の夕暮れ時そのままを描写しています
というより、清少納言の時代からの感性が時代時代と受け継がれて、私たちの脳裏というか血に染み込んでしまっているのでしょうね
一日の終わりを象徴する夕焼けと冬を控えた秋という季節がうまく重なりあうからでしょうか、なんとなく懐かしくそして寂しさをともなった感覚がなんともいえません
カメラに凝ってしまった今年は、絶好の夕焼けスポットがないか夕暮れ前にあちこちと行ってみました 
鳥たちが羽を休めている川の河川敷や堤防、ローカル線の線路が延びている丘など、どれも夕焼けをますます映えさせてくれました
その風景をうまくカメラにおさめることができない自分のカメラ技術がもどかしくなります

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夕焼けを表現した詩もたくさんありますが、秋の夕暮れ時の寂しさが滲んでいるものが多いようです
そんな中でも、こんなとらえかたができるのかという まどみちおさんの「ユウヤケ」を紹介します

ユウヤケ             
                 まどみちお

クライ ヨル ガ
スグ クル カラ、

ソレマデ カザッテ
アゲマショウ。

ヤサシイ ソラ ノ
カミサマ ガ、

ヒャク セン マン ノ
バラ ノ ハナ、

ニシ ノ オソラ ニ 
クダサッタ――。



人生の秋とも言いますね
私ももう人生の秋にさしかかった年齢なんでしょうね
そう思うとますます「秋の夕焼け」に想いが募ります

 

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2008年9月30日 (火)

秋の花々

9月も、もう終わりますね
温暖化の影響でしょうか、9月に入っても30度を越す厳しい残暑が続きました
しかし、さすがに10月を間近に控え肌寒い風が吹いてきました
9月の中旬頃から道端や土手、畦道などを鮮やかに彩っていた彼岸花ももう満開を過ぎ、枯れ始めています
真っ赤な花が燃えるように咲き車を走らせていても目に留まる華やかさでした
彼岸花は少女だった頃、茎の下から手折りし茎を交互に切りながら彼岸花のネックレスを作ったことを思い出します
この辺では「舌曲がり」とも呼び毒があるから気をつけるように親から教えてもらっていました
実際にアルカロイドを多く含む有毒植物で、謝って食べてしまうと吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺をおこして死ぬこともあるそうです
たくさんの異名があり、「曼珠沙華」の他「死人花」「地獄花」「狐花」などたくさんの名を持つ植物です

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そして、秋の代表的な花コスモス、秋桜とも書きますね
白、ピンク、赤紫の花が群生して咲いている姿は、秋の淡く高い青空によく似合います
昨年は一面に広がるコスモス畑を見逃してしまいました
今年は是非一面に咲き誇るコスモス畑を見ようと思っていたところ、「130万本のコスモス」というテレビのCMに惹かれて近くのフラワーパークに出かけました

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残念ながら曇りがちのお天気で、真っ青な空の下とはいきませんでしたが、見渡すかぎりのコスモス畑の中に溶け込んで来ました
コスモスの咲く季節は結婚のシーズンでもあります
ちょうどこの日もパーク内の教会で結婚式を挙げているカップルがありました
そういえば、山口百恵さんの名曲「秋桜」も嫁いでいく娘の気持ちを歌ったものです

    「秋桜」

    薄紅の秋桜が 秋の日の
  何気ない陽溜まりに 揺れている
  この頃涙もろくなった 母が
  庭先で 一つ咳をする
  縁側でアルバムを 開いては
  私の幼い日の 思い出を
  何度も同じ話 繰り返す
  独り言みたいに 小さな声で
  こんな小春日和の 穏やかな日は
  貴方の優しさが しみてくる
  明日嫁ぐ私に 苦労はしても
  笑い話に 時が変えるよ
  心配いらないと 笑った
  あれこれと思い出を たどったら
  いつの日も一人では なかったと
  今更ながら我ままな 私に
  唇 噛んでいます
  明日への荷造りに 手を借りて
  しばらくは楽しげに いたけれど
  突然涙こぼし 元気でと
  何度も何度も 繰り返す母
  ありがとうの言葉を かみしめながら
  生きてみます 私なりに
  こんな小春日和の 穏やかな日は
  もう少し あなたの子供で
  いさせて下さい

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パーク内では、コスモスの他にダリアもたくさん咲き始めていました
コスモスの可憐さと比べると、大輪や中輪の花を華麗に咲かせていました
何ともびっくりしたのが、ダリアにつけられたネーミングです
「ラベンダースカイ」「ムーンワルツ」「砂浜の月」「恋祭り」など洒落た名前のものから「お福さん」「福は内」などちょっと笑えてきそうな名前までありました

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(熱演)                   (房洲路)

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(虹)                     (チェリードロップ)




さて、いよいよ10月=神無月、日本人の大好きなそして独特の美意識、紅葉した葉を愛でる季節が近づいてきました






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2008年9月18日 (木)

名月

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今年の中秋の名月は9月14日でした
この日はススキとお月見団子を用意しました
朝方から曇っていたので、月が見られないかもと思っていましたが、夜にはうまく雲も姿を消し、名月を眺めることができました
「お月見」は奈良時代から平安時代にかけて日本に入ってきたそうで、貴族などの間で月を愛でながら歌を詠んだり酒を飲んで楽しんだようです 名月を詠んだ歌や俳句の多さからも、昔の人々がどれほど名月を心待ちにしていたかがよくわかります

この日もまんまるな月が綺麗に昇ってきました


お月夜     北原白秋

トン、
トン、
トン、
あけてください。
どなたです。
わたしゃ木の葉よ。
  トン、コトリ。

トン、
トン、
トン、
あけてください。
どなたです。
わたしゃ風です。
  トン、コトリ。

トン、
トン、
トン、
あけてください。
どなたです。
月のかげです。
  トン、コトリ。


この詩のように、まるであいさつをして昇ってきたかのような月にしばらく見とれていました
昇るにつれてだんだん小さく、そして月は白くなってゆきます
昔の人が感じていた月の神秘や愛しさは、現代の私たちには想像もつかないほどだったに違いありません
でも、反面私たちは現代の科学によって深まった月の神秘性――たとえば月が誕生したからこそ地球上に生命が育まれたこと――を感じることができます

科学によって解明されても、やはり月は美しく神秘的です

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月夜の浜辺   中原中也

月夜の晩に ボタンがひとつ
波打際に 落ちていた。
それを拾って 役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを 袂に入れた。

月夜の晩に ボタンが一つ
波打際に 落ちていた。

それを拾って 役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向ってそれは抛れず
浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを 袂に入れた。

月夜の晩に 拾ったボタンは
指先に沁み 心に沁みた。

月夜の晩に 拾ったボタンは
どうしてそれが 捨てられようか?



月の明かりに照らされながら、虫たちの声が響き渡っていました

いよいよ 秋本番ですね

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2008年9月 8日 (月)

秋をさがして~伊吹山

8月の下旬から、まるで梅雨のように雨が続きました
この季節にこんなに雨が続いたことは記憶にありません
それでも9月のはじめての週末には天気も回復し、初秋の青空が広がりました
前回、夏休みの終わりと新学期について書きましたが、その日の夜福田首相が突然の辞任表明をしました
安部総理の時と同じく、1年もたずに総理の席を投げ出しました
夏休みの終わりと共に総理の職も終わり、その無責任さにはあきれて声も出ませんでした
福田首相は、宿題を山積したまま職をおりました
その無責任は次の選挙で問われるでしょうね

さて、梅雨明けのような初秋の週末、爽やかな自然を満喫しようと伊吹山へ出かけました
今回は高速道路を使わないで、国道365号を関が原まで北上しました

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関が原から少し走ると、もうそこは伊吹山ドライブウェイの入り口でした
ここで3000円の通行料を払って8合目の駐車場まで向かいました
ドライブウェイを走り出してすぐに対向車が止まっているので何だろうと思っていると、何とカモシカの子供が1匹道に出てきていました
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親とはぐれたのでしょうか、1匹だけで少し戸惑ったように立ち止まっていました
早くも自然のお出迎えを受けたような気分でした
カモシカに別れを告げて、山並みをどんどん上がって行きました
道の両側はススキの穂がずっと続いており、秋の到来を感じさせてくれました

道の途中で、超望遠レンズのカメラで何かを狙っている人たちがたくさんいて、何を狙っているのだろうかと思い、思わず車を止めて尋ねてみました
そうしたら「イヌワシだよ」との返答でした
伊吹山にイヌワシが生息しているのは聞いていましたが、そのイヌワシの写真を撮ろうとする人がこんなにもいるんだとびっくりしました

途中休憩所で車を止めてあたりの景色を写真に収めながら、ドライブウェイの終点、8合目の駐車場に着きました
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ドライブウェイを走っている時は、そんなに車が多くなかったのですが、その広い駐車場は車や観光バスでいっぱいでした

駐車場に車を止めて、山頂目指して登山道を歩いて行きました
親子連れ、夫婦、若いカップルなど、たくさんの人々が登山を楽しんでいました
私は、景色を撮ったり高原の草花を撮りながら、ゆっくりマイペースで登って行きました
3歳くらいの子供にも追い越されながら・・・
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8月にテレビで紹介されていたほどの色とりどりの花は、残念ながら咲いていませんでした
それでも、青いリンドウや、白い穂のようなサラシナショウマなどが目を楽しませてくれました

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そして、山頂
伊吹山は1377m、日本百名山のひとつです

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山頂の一番高いところに、日本武尊の像が建っていました 何でもその昔、日本武尊が荒ぶる神とこの山で一戦を交えたという伝説があるからだそうです
山頂では突然霧にあたりが覆われたり、また晴れわたったりと不安定な山の天気でした
じゅうぶんに初秋の伊吹山を満喫し、山を下りました

せっかく伊吹山まで来たのだからと、長浜まで足をのばすことにしました
長浜は黒壁スクエアで有名になり、観光地として発展している街です
ここでは、ガラス館で実際のガラス製品作りの工房を見学したり、綺麗なガラス細工を見て回りました

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そして、長浜といえば長浜浪漫ビール 地ビールがとっても美味しいのです
地ビールには、エール、ピルスナー、バイツェン、スタウトの4種類があります
ピザと近江牛のビール煮込みと一緒に、私は一番好きなピルスナーをいただきました
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そして夕暮れが近づいてきたので、私の大好きな琵琶湖に沈む夕日を見るために、長浜城のある豊公園に行きました
西の空は雲が出ていて、琵琶湖に沈んでゆく夕日は残念ながら見られませんでしたが、綺麗な夕焼けには出逢うことができました

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琵琶湖はどんな時も絵になる風景を持ち合わせています
まだ、昼間は晴れると30度を越す暑さですが、秋が確実に足音をたてて訪れてきていることを感じることのできた、伊吹山へのドライブでした

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  せっかくコメントいただきましたのに、失敗作の日記と間違えて削除してしまいました
 本当に申し訳ありません

 

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2008年9月 1日 (月)

9月1日

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9月(長月)になりました
残暑はしばらく続きそうですが、それでも日一日と秋本番へ向かっていくのでしょうね
9月の1日というと、自分はもう児童・生徒でもないのに夏休みが終わり、新学期が始まるなぁと感慨深く思ってしまいます 
4月の新学期や1月の3学期の始まりにもそんなに気にならないのになぜだか、9月1日の新学期の始まりは私自身も気持ちが新たになります
今日の朝も久しぶりに小学生の集団登校の姿を見ました かばんの中は夏休みの宿題が詰まっていたのでしょうか
不思議なものです 自分の夏休みの思い出はじっと考えないと浮かんでこないのに、息子たちがまだ子どもだったころ、いっしょに過ごした夏休みのことはまだ昨日のことのように鮮烈に思いうかびます
私は女の子だったので、子どものころそんなに虫や魚に興味がありませんでした
でも男の子はさすがに虫や魚が大好きで、毎日のように虫採り網を片手に近くの堤防に出かけバッタ採りをしたり、タモをもって川に入り魚を追い込むようにして魚捕りをしました
私は大人になって初めて虫採りや魚捕りの面白さを知りました
この新学期の始まりには大人も何か意識してしまうのは、長い夏休みのあとの新学期だからでしょうか
そんな9月1日には必ず読み返してみる詩があります
高田敏子さんの「忘れもの」という詩です

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忘れもの             高田敏子
  
 
 入道雲にのって
  夏休みはいってしまった
  「サヨナラ」のかわりに
  素晴らしい夕立をふりまいて

  けさ 空はまっさお
  木々の葉の一枚一枚が
  あたらしい光とあいさつをかわしている
  
  だがキミ! 夏休みよ
  もう一度 もどってこないかな
  忘れものをとりにさ
  
  迷い子のセミ
  さびしそうな麦わら帽子
  それから ぼくの耳に
  くっついて離れない波の音


                  

今年の「入道雲」は残念ながら「素晴らしい夕立」ではなく、局地的な豪雨を降らせ愛知県の岡崎市では1時間に147mmという記録的な降雨量で死者まで出る大きな災害となってしまいました
被害を受けられた地域の方々には心から早い復興を願います

さて、今年の夏が残していった「忘れもの」、まだしまい忘れている風鈴・整理してない旅行のパンフレット・取りきれなくて伸びてしまった庭の雑草、私の夏の名残りです
みなさんには、この夏はどんな「忘れもの」をしていきましたか

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2008年8月24日 (日)

夏のおわり

厳しい残暑も峠を越えたのでしょうか?
朝晩めっきり涼しくなりました
いよいよ、夏の終わりを感じる気配となりました
今年は北海道や東北では、涼夏だったようですが、西日本では厳しい暑さの続く夏でした
夏の暑い盛りには、このままずっと暑さが続くのではないだろうかと思ったほどです
でも、やはり季節はめぐるものですね
そういえば、あたり一面空気を震わすほど鳴いていたセミの声も、ぴたりとやみました
みなさんも夏の終わりを感じていらっしゃるでしょうか?
日が短くなって日暮れが早くなったこと、入道雲が浮かんでいた真っ青な空が、少し高くなったことなど、夏の終わりをいろんな自然の変化が知らせてくれます

さて、みなさんに一足早い「秋」をお届けしますね
何かというと、それは稲穂の実りなんです
私の住むこの地方では、夏の終わりのこの時期に稲穂が豊かに実り、黄金色の海のようになります
早いところでは、もう盆過ぎに稲刈りを始めているところもあります
この地方でこんなに稲刈りが早いのは、台風の被害を避けるためなんでしょう
かつて、伊勢湾台風で甚大な被害を受けたことが影響しているのでしょう
だから、私にとっては夏の終わりを象徴する一風景が、豊かな稲穂の波なんです

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「豊かな稲穂の実り」といえば、新川和江さんの「わたしを束ねないで」という詩が浮かんできます
その詩の中で、稲穂は束縛されることのない自由の象徴です



「わたしを束ねないで」   新川和江


わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
     
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩


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この詩を読むと何ものにも束縛されず、自由に生きたいという新川さんの強い気持ちが伝わってきます
この詩は共感するところも多いのですが、反面私にはここまで強く自由を求めることができないとため息が出てしまいます
私には、どこかで「安定」「安住」のために大人の常識に身を任せているところがあります
ところが、新川さんの求める自由は根本的な人間としての解放を望んでいるようです


さて、みなさんはどんなところに夏の終わりを感じていらっしゃいますか?

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2008年7月26日 (土)

空蝉

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猛暑が続きます
朝早くからセミの声が嵐のように聞こえてきます
まさに蝉時雨ですね
最近のセミはクマゼミ(私の地方では、その鳴き声から「シワ」とも呼びます)が多いような気がします
昔は、もっとアブラゼミがいっぱいいて、クマゼミの方が珍しかったように思います
私は、ちいさい頃あまりセミとりに興味はなかったのですが、男の子たちがクマゼミを捕まえると「シワを捕ったぞ!」と自慢げに虫かごを見せてくれたのを思い出します
その事を思うと、今はアブラゼミはあまり見なくなって、朝からクマゼミが「シワシワシワシワシワシワシワ~~」と賑やかに鳴いています(アブラゼミはアブラゼミでとてもうるさかったですけどね)

セミの声といえば「閑さや岩にしみ入蝉の声」という芭蕉の句があります
この、岩にしみ入セミの声のセミは何ゼミだろうと、とても気になったことがありました
あたり一面蝉時雨が降り注ぐからこそ、却って静かさを感じたのなら、アブラゼミかな?クマゼミかな?と思ってみたり、高い木立の上の方で鳴くツクツクボウシの「ツクツクボウシ~」といった響き渡る声に静けさを感じとるのならツクツクボウシかな?また、山の中で聞いたのなら「カナカナカナ~」と鳴くヒグラシかな?と思いをめぐらせた事があります
もちろん作品のとらえ方は自由なので、どのセミととらえてもいいのでしょうが、何事も研究はされているもので、やはり正解のセミは研究されていました
何と「ニイニイゼミ」だそうです
それを知った時は、予想していたどのセミでもなかったので、「へぇ~」と少し意外な感じがしました


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先日、涼を求めて近くの山へ車を走らせました
そんなに高い山ではないのですが、スカイラインをどんどん登っていくと、アジサイが今ちょうど見ごろでした
風もひんやりとしてきて、車のエアコンを切り、窓を全開にして走りました
山中からは、鶯とヒグラシの鳴き声が、まるで共鳴するかのように聞こえてきました
不思議なものですね、夏真っ盛りなのにヒグラシの声を聞くと何故か夏の終わりにいるような錯覚を覚えました
でも、やはり山を下って来ると下界は焦げつくような暑さでした

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さて、その日の夜遅くに息子が帰ってきたら、「お母さん ちょっとちょっと!」と呼ぶので玄関先に出てみると玄関の柱の下の方で、まさにセミが羽化を始めて、殻を破って出てきているところでした
透明な羽がまだシワだらけでしたが、アイロンをかけたみたいに綺麗になっていくまで、息子と二人でずっと見ていました
めったに見られないシーンなので、心がウキウキしました
次の朝、気になって見にいくとセミはもうどこかに飛び去っていて、後には抜け殻だけが柱に残っていました
この抜け殻を「空蝉」と呼ぶ日本語は、やはり美しい言葉です



うだるような暑さが続きます
私の好きな詩人吉野弘さんは、そんな猛暑の日暮れ時をこんな素敵な詩で表現しています



「熟れる一日」

赤いすいかの内側のような
夕焼け。
こんなに良く熟れる夏の一日もある。

空にいらっしゃる方が
大きなスプーンで
ひと掻きずつ
夕焼けを
掬って 召しあがるのか
赤いおいしそうなところが
ゆっくり 減ってゆく。

暑かった昼のほとぼりのさめないまま
たちこめる青い暮色。
空 の高いところに
かすかに赤い横雲が一筋
食べ残された風情で。


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